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2010年10月17日日曜日

サッカーの公共性

ザッケローニ監督が日本代表を率いて4試合(働いたのは2試合)たったが、ワールドカップ以来サッカー人気がさらにすごく上がってるのを何となく感じる。

僕みたいな昔やってたから見てるぐらいのレベルでもそうなんやから、実際はもっと人気は出てるやろうし、事実物販の売り上げは上がったり代表戦(まあ相手がアルゼンチンと韓国やから)チケットが即売り切れるなど、証左にも事欠かない。


日本代表について意識する回数が増えるとともに、元選手とか監督候補みたいな人が個人的な見解として昨日の試合はどうだったとか、監督の采配がどうだとかいう記事がやたら目につくようになってきた。

プロとして意見を述べるなら、その立派なサッカー観をひっさげて監督に面接してもらえばいいと思うのに、どうもそうではないらしい。


一昔前なら、そのような言いたい放題はあっちこっちから引っ張りだこだったろう。戦術に関するうんちくやら、世界で流行ってることなんかは情報の乏しかった時代は重宝されたやろう。

ただその時代の亡霊に引っ張られることがあったらもったいないし、僕はもうここまで大衆人気の出たサッカーはもうそういうプロフェッショナルである意味私的なものからは離れていってるから、やるなら協会か居酒屋にしてと思うのだが、まあ彼らには彼らのプライドがあるみたいやから、なかなかそうはいかないらしい。ブログでファンが下品で云々みたいなことも書いてあるようですが、ファン同士が喧嘩する理由と、彼らが時代遅れの主張を繰り返す理由と、たぶん似てると思うんやなあ。

サッカーって結構、一神教に近いと思う。



話はそれるが、アルゼンチン戦の中継の途中にこんな一幕があった。

ゲストとして来ていた元ミラン監督のレオナルドに実況の加藤浩次がべったりいちゃいちゃしていたため、せっかくのいい試合がほぼ実況なしとなり、なしならいいが加藤の下品な会話が公共の電波に流れ出したというもの。

どうもイケメン外人に目がないミーハー実況のお陰で初采配を歴史的勝利で飾った監督の初めての声がかぶって全く聞こえなくなり、そのまま中継が終了した。

あの手のややこしい人間の首をさっさと飛ばさないと、進歩が遅れる気がするけど。やっとちょっと相手が外国に住んでるってだけで自分に劣等感持つ時代が終わろうとしてるんやから。

エルコンドルとフェスタ

今年の凱旋門はレベルが低かったのか。
そう思わせるほど日本では一素質馬の域を出なかったナカヤマフェスタは善戦した。負けはしたけど、内容も強かった。


1999年(もう10年も前になるんか)に同じくエルコンドルパサーが凱旋門賞で二着したけど、当時エルコンドルに乗ってた蛯名騎手(フェスタと同じ)は攻めかたを海外仕様にいじってたし、あれはあれでたぶん功を奏してたから何とも言えんけど、いつの間にか普通に手が届くんじゃないかと誤解してしまいそうなほど、フェスタの走りは夢に溢れてた。


競馬後進国といわれた日本で、こんな瞬間が見れることは嬉しいことや。
ありがとう、サンデーサイレンスとかダンシングブレーヴ。君たちのお陰です。

来年あたり期待できそうなら、見に行きたいもんや。