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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2012年3月9日金曜日

友人の一周忌に寄せる

昨年3月、友人が自ら命を絶って、すごく塞ぎこんだりしていたのだが、やっぱり一年も経つと悲しみは薄れたり、悲しいとかそうゆうことを超えて何かを考えてみようという意識も生まれる。 二十代の前半っていうのはバイオリズム的に?一番自殺願望が高まる時期なんだそうで、だからといって死んでいい理由にはならないのですが、悲しいのは間違いなくともこの世には人間の営みを超えて、もっとなにか大きな(たとえば環境)のようなものによって支配されてるんだというような、半ば諦めにも似た気持ちが自分を支配しつつあるのがわかる。 人口ってなんで減るんやろう? なんでなん%かの人は、自ら死を選ぶのか? なぜほっといたら戦争が起こるのか? とかそうゆう問題について、果たして真剣に考える意味があるのかないのか、よくわからなくなってるという意味なんですが、もしこれが考えるのに値しなくて誰がどう頑張って考えても解決しない、というか繰り返される問題ならば、やっぱり黙って見過ごすという手もあるのだろうか。 何割かの人たちが頑張って頭ひねってるのを横目に、上の空でたとえば自分の収入なんかを追っかけるのが合理的なんだろうか。 仕事を替えて、どうやら余計に複雑な問題になってしまったようだ。