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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2009年4月22日水曜日

何はともあれめんどくさい

和歌山毒物カレー事件の第3審が行われ、被告の死刑が確定する公算になりました。

あと1ヶ月後に迫った裁判員制度にとって、大きな課題ともいわれる結果になっていますが、その理由は動機がはっきりしていないことと、状況証拠が推測と少数の目撃証言に基づくものであって、死刑を断定するには少し無理があるのではないか、それを一般市民に決定させるのは、なお無理があるのではないのか、ということです。


人の死をいざ決定する場面に直面したとき、人情として被告のいいところを探してしまいがちだと思います。おそらく僕が裁判員として量刑を決定する立場なら、そうなるでしょう。「どんな人にも死んでいい理由はない」という境地には、冗談ならともかく至りにくいものです。以前「裁判員制度の導入によって、死刑は激減する」という趣旨の発言をしたのはそのためです。



それとは別に、興味深いデータがあります。

アメリカでのデータしかないのですが、「量刑が見た目によって多少左右する」という結果が出ています。アメリカの裁判で、被告(女性)を「見た目のいいグループ」と、「(相対的に)そうでないグループ」に分け、同じような案件で量刑を比べたものなのですが、容易に想像しうる通り「そうでないグループ」の量刑は重くなったわけです。


「人は見た目が9割」ではないですが、一般人が陪審に参加すると、こういう結果になるのかもしれませんし、ひょっとして法律のプロですらこういった判断を下しかねないのかもしれません。状況証拠をおおよその推測に頼らざるを得なかった今回の場合、そのような境地に果たして至りはしなかったでしょうか。


以上のことが裁判における手間や精神的ストレスに誘発されるものであったとすると、やはりプロでない限り「裁きに参加」というのは難しいのではないか、と思ってしまうのです。ほとんど国民の理解が得られないまま見切り発車感の強い今回の制度ですが、動機不在のまま出た今回の判決と、どこか被りはしないでしょうか。


子供は「悪いことをしないように」と教えられます。同時に悪いことをすると、どんな仕打ちに合うか、どんなめんどくさいことになってどれだけ人様に迷惑をかけることになるか、教えられます。そしてほとんどの人間は、そうならないように育ちます。人様に迷惑をかけてめんどくさいことになってる自分の人生(もしくはそんな世界)を見たくないと思っています。それが裁判員制度によって、否応なしにそんな世界に引きずり込まれます。「事なかれ主義の日和見主義」と言われても、安穏無事に過ごすことがある意味で人々の美徳になりうるこの社会で、他人事とはいえそんな世界を覗いてしまうのはストレスになりえます。

「あんな人にはなっちゃダメよ」とは教えられても、悪人を正機させる術は身につけておりません。他人は他人、自分は自分。変な個人主義が根付いた日本で、果して裁判員制度が正常に機能し得るのか、やるからには応援しますが、機能するまでは戦々恐々としながら紙がこないことを祈ることになるでしょう。

2009年4月16日木曜日

2章 消費者行動

1.消費者行動のさまざまな側面

「購買」は保有、消費、などを含めた消費者行動の一部でしかないが、自社製品の売り上げやシェアに直接関わってくるという点でマーケティング担当者にとっては一番重要な消費者行動である。


2.消費者の購買行動プロセス

消費者の購買プロセスは、問題認識ー情報探索ー評価ー購買決定ー購買後の行動で、そのそれぞれでマーケティング担当者が注目する変数が存在している。



  1. 「問題認識」…ニーズの喚起、家庭内ストック   消費者の内的な要因(生理的、社会的欲求)、または外的要因(広告による触発)によってニーズが喚起される。製品によって購買時期は様々である。
  2. 「情報探索」…認知、考慮集合、選択集合   自分自身の経験、周囲の評判、広告、販売員の推奨などを情報源に、対象への関心度、重要度(関与度合)に基づいて情報収集する。高関与の場合は広範囲、低関与の場合は手近な範囲の情報収集しかしない傾向がある。日用品は低関与。この後、消費者が存在を認識している集合(知名集合)の中から考慮対象となる集合(考慮集合)の選択を経て最終的な選択場面における選択肢の集合(選択集合)へと絞り込む。
  3. 「評価」…消費者はブランドを知覚と選考によって評価する。これを知るためには、消費者が何を評価軸としているかということ(安全性、喉ごし、など)と、その評価軸上でブランドをどのように位置付けているかを知る必要がある。
  4. 「知覚」…さまざまなブランドに対する消費者の知覚を図示したものをプロダクトマップといい、その分析方法には多次元尺度構成法http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%AC%A1%E5%85%83%E5%B0%BA%E5%BA%A6%E6%A7%8B%E6%88%90%E6%B3%95因子分析http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/lecture/PFA/index.htmlが用いられる。
  5. 「選好」…選考とは消費者の選択対象を「属性の束」とした上での主観的評価である。補償型と非補償型があり、補償型の代表的なものとして加算型がある。特定の対象iに対する評価Aiは、対象の属性jに対する評価bijと、その属性の重要度hjとの積和によって規定される。考慮集合や考慮すべき属性が多い場合は、非補償型の連結型、分離型、辞書編纂型の3つが用いられる。連結型は、考慮すべき全ての属性について必要条件を設定し、全ての必要条件を満たす選択肢は許容される選好の範囲に入るというものである。分離型は、考慮すべき全ての属性について十分条件を設定し、1つの属性でもその十分条件を満たすのであれば、他の属性の値にかかわらずその選択肢を選ぶというものである。辞書編纂型は、もっとも重要な属性に着目し、その属性についてもっとも高く評価される選択肢をピックアップするものである。
  6. 「購買決定」…いつ購買が発生するかを問題にするのが購買生起モデルである。どのブランドを選択するかという意思決定はブランド選択モデル、選択したブランドをどのぐらい購入するかというのは購買量モデルによって導く。

  ブランド選択モデル

このモデルでは、過去の数値の統計上都合がよいとして加算型が用いられる。

ある消費者のブランドiに対する効用をUiで表す。この効用は選択肢の属性やマーケティング変数などから確定的に決まる要素Viと確率的な誤差εiの和からなるので

Ui=Vi+εi

消費者が全てのブランド集合Cの中から最も効用の高いブランドを選択すると考えると、選択肢iが集合Cから選択される確率は

P(iC)=Pr[Ui>Uj] for all j∈C,j≠i

Ui=Vi+εi

Viについては、マーケティング変数とその影響度を表すパラメーターとの線形結合によって次のように表す。

Vi=αi+ΣβkXik

εiには正規分布を用いるのが普通だが(プロビット・モデル)、積分を含んだ形で表現すると式が煩雑になるので、二重指数分布に従って表記すると、選択肢iの集合Cからの選択確率は

P(iC)=exp(Vi)/∑exp(Vi)ロジット・モデル

2009年4月14日火曜日

HISTORY=HIS STORY

明治維新の直後、政府によって推し進められた政策に、富国強兵殖産興業というものがあったことをご存じの方も多いかと思います。

これはもちろん、西洋化の一環として、今までになかった概念を日本が取り入れたわけですが、元の英語を日本語訳するときに「殖産興業」という字を当てるセンスにおいて、日本人というのは抜群のスキルを示すらしいです。当時新しい英語の概念を日本語に置き換える役目は、福沢諭吉とか西周たちが担当していましたが、残念ながら「殖産興業」を誰が訳したのか、はっきりしたことはわかっていません。

センス抜群と言われるゆえんはその意義をよく文字が表わしているからですが、特に「殖」と「興」という文字を使ったあたりにその凄さが垣間見えるらしく、これを教えてくださった方は「最も美しい日本語のうちのひとつ」とまで絶賛しておられました。


昔「バックグラウンドを知ることと卓越した実況は、スポーツを面白くする」という趣旨の記事を書いたことがあったかと思いますが、僕にとっての最も美しい日本語が「殖産興業」ではないのは僕が経営史の専門家ではないからで、バックグラウンドを知らないからだと想像できます。

よく「オタク」という人種が一人でニヤッとしているのを見かけますが、あれは彼にしかわからない領域で、彼が彼なりの美しい響きを見出し、その美しさに酔いしれているからだと思うのですが違うでしょうか。今もパソコンを打っている僕の横で、何も映っていない画面を見てニヤついている方がいらっしゃいますが、このように思わないと完全にホラーです。


さて僕個人の話ですが、「一番美しいと思う日本語を挙げてください」という問いに対してはっきりと答えを申し上げることはできません。そこまで深く文字を眺めたことがなかったというのが率直なところです。「」という文字を見たときにその花をイメージし、綺麗だから「桜」の文字は好き、というのとはちょっと質の違う質問ですし、なかなかに難しいものがあります。ただ一番かどうかは別にして、「法人」という言葉はちょっとセンスを感じます。いやまさに今その文字を見てて思ったんですが。

僕の歴史は浅いです。

2009年4月12日日曜日

1章 ビジネスチャンスの発見

1.事業ビジョンの明確化

マーケティングは、企業理念を達成するための顧客とのインターフェイスを果たす。マーケティング部が操るべきものではなく、経営トップのリーダーシップの元行われるべきものである。販売や広告はその一要素に過ぎない。

全てのマーケティングは選択された領域の中で行われる。新規事業の領域を決めるにあたって陥りやすい誤りは、既存の製品やサービスにとらわれる事である。「石油会社」ではなく「エネルギー会社」という風に製品カテゴリーで規定するのではなく、顧客のニーズやベネフィットに基づく視点を持たないと、刻々と変化する時代に取り残されてしまうことになる。


2.ビジネス・チャンスを発見する

なるべく多くのアイデアを考え、目標や組織能力に則って最終的に有望ないくつかの候補に絞り込んでいく。その際、組織の関連部署内でコンセンサスが得られるようなシステマティックな方法を考える。
さらに絞り込む過程において有力な手法は、SWOT分析である。(Strengths,Weakness,Opportunities,Threats)これを用いて以下の強みと弱み、機会と脅威を分析する。
  1. マーケティング要因…企業の評判、マーケットシェア、顧客満足、顧客維持、製品品質など。
  2. 財務要因…資本コストと資金調達力、キャッシュフロー、財務の安定性。
  3. 製造要因…設備、規模の経済、生産能力、従業員の能力、技術的能力。
  4. 組織要因…長期的視野をもつ有能なリーダーの存在、意欲的な従業員、企業家精神、柔軟性もしくは機動性。

これらを5~7点尺度で評価し、それぞれの項目の重要度も評価する。重要度でウエイト付けされた各項目の平均値で、アイデアの魅力度をはかる。

3.目標設定

大目標を設定し、それを達成するための中目標、小目標を設定する。これらを重要度によって優先順位付けすることで、より実行可能性の高い目標が見えることになる。

4.市場の規定と競争構造分析

SWOT分析で大雑把に規定された市場の競争構造を測るのが、競争構造分析である。市場全体が、どのようなサブマーケットによって分類されているかを分析する。競争構造を捉える基準変数には、以下のようなものがある。

  1. 伝統的な分類…大型車、普通車、小型車
  2. 価格弾力性
  3. 使用目的、用途…プロ用のカメラ、アウトドア用のナイフ
  4. 使用場面(TPO)
  5. ブランド遷移…購入ブランドの時系列的な変化
  6. 知覚の類似性…あるブランドと他のブランドが似ているか、似ていないか

以下の点を考慮に入れた上で上を用いて市場を規定する。

  1. 直感的にわかりやすく、納得がいく
  2. 消費者の視点から行っており、消費者の欲望と購買行動の結びつきを反映している
  3. 企業にとってい値打ちがある規定か
  4. 規定された市場の競争構造が、企業の現在における他製品との戦略的意図と密接に結びついている

5.競争構造分析のモデル

誤った競争構造分析をしないために、プロデジーモデルを用いることが多い。これは、顧客の購買行動から競争市場構造を分析するモデルである。ある商品を強制的に市場から排除すると、顧客はどのブランドを選択するかを測定したものである。これに使われるデータを強制的遷移データという。

プロデジーモデルの基本的な考え方は、既存の製品シェアに比例してシェアの変動が起きるという無構造市場仮説と、分析者の適当に考えた複数の構造仮説とを比較・検討するというものである。観察された遷移データからこのどちらの仮説が正しいかを統計的に検証する。

P(jT)=mj 市場全体でのマーケットシェア

P(js)=mj/Σksmj サブ市場sでのマーケットシェア

Pi(j)=mj/Σk≠imk=mj/(1-mi)  iを削除したときのjのシェア

Pi(s)=Σk∈sk≠iPi(k)  iを削除したときのサブ市場sのシェア

2009年4月8日水曜日

LOST IN CROWD

朝晩電車に乗っていると、満員電車ということがよくあります。
これが好きだという人は聞いたことがないのですが、例に漏れず僕は大嫌いです。

満員電車にもなると、手すりやら吊り革など、持つ場所が不足しますので急ブレーキのたびに人が倒れてくるんですね。多少倒れ掛かっても、踏ん張っている人もいるわけですから倒れてしまうことが少ないのです。

満員電車には、2種類の人間が存在します。

1:持つ場所はなくともなんとか踏ん張ろうとする人
2:全ての慣性を受け入れている人

後者は、もはや頑張って踏ん張るのがめんどくさくなって、人にもたれかかる人です。

「そんな人おらんよ」という反論に対して、僕の集めた検証結果はこうです。


に止まるとき、電車はブレーキをかけますが、たまに下手糞な運転手が急ブレーキを踏むことがあるのです。その際、人の波が揺れますがもし倒れまいとして踏ん張っているとその波があんな早く倒れるわけがない、というのが理由です。踏ん張っている人間に対して慣性が働くと、一瞬止まってゆっくり倒れていきます。比べて満員電車には、それではない力が働いている。単に「踏ん張るスペースがない」では説明できない甘えのようなものがある。現に疲れて寝てるような人は、がらがらの電車では不可能なはずの「どこも持たずに寝る」ができてますからね。



余談になりますが、年いってくると図々しくなる人いますよね。俗に、「大阪のおばちゃん」はそうだといわれます。電車において例を挙げると、平気で電車を待つ列の最前列に割り込み、なりふり構わず空いてる席に突進する、というものですが、これは僕は精神的なものが理由だとは思えないのです。
おばちゃんの場合は、「してはいけないと自覚する道徳観」を、「体力」が下回っている。確かに恥は感じるかもしれないけれども、なんせ座りたい。図にするとこうです。




「環境によるストレス」というのはまあ大阪でいうところの人が多い、とかでしょうね。


満員電車が疲れるのは、上でいったような「人間の汚い部分」が垣間見えるということのほかに、「パーソナルスペースの侵害」ということが挙げられます。

パーソナルスペースとは、他人に入られるとストレスを感じるスペースで、相手によって多少変化しますが、一般に向こうからやってきた相手に対して挨拶をした時点での相手との距離だといわれていますが、これが部長ならちょっと遠くなるかもしれませんし、仲のいい友達なら近くなるかもしれません。



満員電車では、これが圧倒的に侵害され続けるためにストレスを感じっぱなしの通勤になってしまうわけですね。

自らが「他人」と認識している相手が自分の体に触れ続けている気持ち悪さ。これは自分の意識次第でなんとかなるもんなんでしょうか…
できれば早めに、何とかしたいものです。

2009年4月2日木曜日

ゆうてる場合か♪

麻生首相が追加景気対策の一環として「杉の木300万本伐採♪」と言い出しました。

突然どうしたのだと思う人もいると思いますが、まさに僕もその一人です。


杉の木を切る理由は大きく二つ。

木を切る人を雇うことで雇用の確保につながるのと、花粉症の人を減らすということ。
後者のほうは僕自身興味津々なんですが、いったい花粉症を改善することで労働者の生産性はどれほど上がるのでしょうか。僕は意外に大きいのではないかと思います。なんせ睡眠不足によって日本人のロスしているGDPは、2兆円だそうですから。寝なくていいから、鼻炎は治せということなんでしょう。


かつてばかばか無駄な道路を公共事業と称して行い、批判を浴びた教訓が、なんとなく生かされています。「意味のある公共事業ならええんやろ」ということですね。評価していいかどうかは別として、なかなか面白い案だと思います。

問題は「切った木をどうするのか?」ということですね。家作っても売れないし、外国にでも売りさばくのでしょうか。なんせ300万本は大変な数です。

ちなみに、僕はどうやら花粉症の症状はおさまったようです。杉アレルギーではないようなのです。
僕は一足遅い春を迎えますが、全国の同志には花粉の飛ばない杉が育つまで、今しばらく頑張ってもらいたいものです。

バイトはなぜ働かない

僕は今までいろいろアルバイトを経験してきましたが、長いことやっているといろんな人がいることに気づきます。ある種の社会勉強と言われるゆえんだと思います。


アルバイトをしてるとき、「組織に属している」気分になる人と、そうでない人がいると思いますが、いってみれば「単なる金稼ぎ」以上のものを得るか得ないかの違いで、何年か前までは後者の立場をとる人が嫌いでした。どっか冷めてて、必要以上のことをしようとしない、要領よく仕事を終わらせて帰るだけの…というような印象でした。これは僕がアルバイトの分際で「組織に属している」と一方的に解釈し、周りの人にもそうであるよう心の中で強制しようとしていたからに違いありません。


性善説と性悪説を労働に関してあてはめるとこういうことになります。

性善説…仕事をするのは人間の本性であり、やりがいのある仕事を与えれば人は自ら動く。

性悪説…人間は本来仕事をするのが嫌いで、強制や命令がないと働かない。

これを言ったのはダグラス・M・マクレガーです。彼は上記性善説をY理論(性悪説はX理論)と呼びましたが、短期的に業績を伸ばそうとするとX理論に走りがちだが中長期的視点でみるとY理論を用いるほうがよいとしています。


確かに、イメージとして時給を多少高めに設定し、アルバイトを酷使してやめればさっさと入れ替えてしまうというやり方を採用している企業は、目先の(今日その日の)売り上げを重視して中身はボロボロ、というのも経験上あります。このような仕事先でY理論を導入するのは、非常に苦労します。時給が高いのだからと洗脳するか、圧倒的なカリスマ性を発揮する者を筆頭に従業員一同をアドレナリン垂れ流しっぱなしのマゾヒストに変えてしまうか、どっちにしろ人間性を完全に無視せざるを得ません。ほうっておくと暴動がおきるため規律によって管理する、まさにX理論ですね。


現パナソニック創始者の松下幸之助氏はY理論を重視したことで有名な経営者でした。
彼が社員にした配慮は、業績という形で会社に還元されたという点で非常に評価されています。人間としてやっぱりこっちのほうが魅力的に感じますが、悲しいかな不況の時ほど短期的な評価を求めがちです。


社員はこのように、Y理論を導入する会社で意欲的に働くとされていますが、アルバイトは社員ではないので自らが意欲的に働くことで受ける恩恵はほぼ0です。せいぜい時給が50円上がるとか、まあその程度。XやYだといっても彼らには関係ありません。経営の外の存在であることを自ら自覚しているがゆえの振る舞いなら、仕方ないことかと思います。


経済学を勉強すると、こんな単純なことですらいちいち図式化することでひとつ寛大になれた気がしますね。
あと、時間がつぶれます。