I’M HERE

自分の写真
トータルライフコンサルタント 相続診断士

2012年9月2日日曜日

なぜ、原発推進派の声が小さいか

原発を続けるか、やめるかという市民レベルの激しい?言い争いを尻目に、着々と元の木阿弥に戻りつつある原発政策ですが、原発を推し進めたい人たちの声がすごく小さく、なぜ推し進めたいか、がわかりにくい。

各企業に節電依頼をかけて電力消費を抑えた結果、中小企業レベルの生産性が落ち込み、零細工場にとっては死活問題になっている。今後原発廃止に向けて進んでいった場合、この事態は解決せねばならない。
震災当時、多くの下請け工場(=市場に出回る商品の根幹)が実は東北地方にあったことを思い知らされた。実体験だが、夏祭りのうちわを作ろうとネットを探したが、骨組みの工場がほとんど東北にあったため部品が供給されず、準備が滞ったりした。

今後この不安定な状態が、原発をとめることによって引き起こされる、かも知れない。

また電力の供給が不安定、または今回のように2割も電力が上がるようなことがあれば、メーカーにとっては間違いなく東南アジアのほうで作る方が有利なのであって、産業の空洞化は避けられず、経済が落ち込んでただでさえデフォルト寸前の国債に影響が・・・などという最悪の事態まで考えといた方がいいのであろうし、「最悪の事態」といったって大地震で原発内のタンクがふっとび何十年か後に健康被害が現れて・・・という確率に比べると余裕で高く、そして影響が計り知れない。


ではなぜ推進派(許容派)はもっと声を大にしないか。


この許容派には企業で働く人、または企業自身が多い。
このデリケートな問題に対して、安易に立場表明できない位置にいるといっていい。
かぶる責任と、その見返りが多すぎる・・・というのが大きいのではなかろうか。

翻って反対派だが、仕事捨てて活動してる人もいるように、責任取るといったってできない人やらそもそも自分の立場を表明することでどんな影響があるのか、冷静に判断できない人が多い、と許容派は感じている。
モンスターペアレンツみたいなもんだと思ってるのではなかろうか。


許容vs反対派の構図は、持てる者と持たざるものの闘いだ。
発言に注意が必要な立場か、そうでないかの違いといってもいい。

さすがに「日本という国がなくなってもいいから原発はなくすべき」という人はいないだろうから、許容派はもう少し我慢して冷静に説明してあげるべきなのではなかろうか。