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2011年2月22日火曜日

グランプリ再考

宝塚記念の優勝馬にアメリカのBCクラシックの優先出走権が与えられることが、JRAによって発表された。
権利に加えてアメリカまでの輸送費が援助されるので、これまでお金がネックになってた事情が大幅に緩和されたことになる。

JRAがどんなうまいこと交渉したとかじゃなくて、裏には去年の宝塚記念優勝したナカヤマフェスタがフランスの凱旋門賞で好走したことが間違いなく影響してるはず。近年競馬先進国に追い付きつつある日本の馬が、ドバイやら欧州に次々出ていく事実を見過ごせなくなったんやろうな。

有力馬が出走回避したりすることも多く、形骸化しつつある日本競馬界のグランプリ事情にも、一石を投じることになるでしょうが、何より認められていくのは嬉しいね。



ちなみにBCクラシックはだいぶ由緒のあるアメリカの最高峰レースですが、それにまつわる映画にこんなものがあります。


『夢駆ける馬ドリーマー』
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5303

史上初、牝馬でBCクラシックを勝ったソーニャドールの話。
競馬に興味がない方でも、きっと感動してもらえると思いますよ。

2011年2月19日土曜日

電子書籍と家

アメリカ第二位の本屋さん、Bordersが倒産した。
あんまりでかいニュースになってなかった気がするけど、流されると困る会社がいっぱいあるしね。
個人的に、ちょうどその前日に「本屋ってなくなっていくよなぁ」って話をしてたので、そのタイムリーさに驚いた。



倒産の原因はもちろん電子書籍の爆発的な普及で、ハードの方が先に広まってたアメリカで、さっそくその影響が現れたわけだ。
単純に考えて、日本の本屋が無事で済むわけがない。タワレコなんかと置かれている立場が変わらないことは誰が見てもわかるし、タワレコの記憶が薄れていないぶんレイト・アドプターの動くスピードは速いんじゃないかと思う。感覚的に。
必然、日本の本屋に残された時間はすくない。


最近秋葉原なんかで、『自炊の森』ってのが出てきてるらしい。
既存の紙の書籍をスキャンして電子書籍のデータに換えてくれる漫喫のようなところのようだ。
お値段はだいたい紙の重さ1キロ1000円とかそれぐらい。もちろん本買うのに比べたらだいぶ割安で、こんなんよく出版社が黙ってんなぁと思ったらやっぱ黙ってなかった…
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110214/trd11021410030001-n1.htm(MSNニュース)

音楽のダウンロードの時も思ったけど、またかって感じやな…
悔しいのは理解できるけど、電子化を望まれてるような(もうちょい安くて当然の)本は電子化していいし、何より早くて便利。まあ目は痛いし達成感は少ないけど。それが嫌ならその時はアマゾンで書籍探すよ。


個人的には雑誌をもっと細かい分野にわけて出しゃいいのに、と思うんやけどなぁ。
買う人は買う、といえばそこが一番望める。多少お金出してでも、好きなものは買うやろう。
もうひとつ、「置いときたいけどお金払ってまではいらんな~」ってものは電子化されて無形化していく、という確信に似た予想をすれば、家のなかに形として置いとくもんって好きなものに絞られてくるわけです。そうすると雑誌なんてのは最後まで(半ばアナログ時代の名残のように)あってもいいと思う。


そういった意味で、kajiのつぶやきにもあったけど、これからの家の作り方には興味があります。
最後かどうかはわからんけど、結構な砦やと思うな。そこは。

2011年2月17日木曜日

ハービンジャー

本家イギリスから、社台ファームに種牡馬として、ハービンジャーが輸入された。
ハービンジャーは去年のキングジョージで、史上最大着差(2着に11馬身差!!)をつけて優勝、その後つけられた国際レーティングが史上最高(142)の名馬ですが、なんせこのレースのあと骨折して引退してしまったがためにこのレーティングが正しいかどうかわからないまんまの馬。

ただ、想定購入額が数億円なので、だいぶ割安で買い取られた模様
かつてのダンシングブレーヴのような爆発力を期待したいところですが、ダンチヒ系が生き残れるかどうか…

種付け界を席巻しているサンデーサイレンス系につけれるのは好材料ですが、母父として活躍するようなので4年後か…


しかしロックオブジブラルタルといいハービンジャーといい、期待の外国産馬が目白押しですね。
凱旋門取れる日は近いのだろうか…



ちなみに同日、ヴァーミリアンも種牡馬入りしました。
早世したエルコンドルの後継として期待がかかります。
初年度種付け料金はなんと破格の50万円!!

今のうちに子孫を増やしときたいものですが、すでに100頭あまりの予約があるそうで、一安心ですね~。
エルコンドルの孫で凱旋門ってのもええなあ。

2011年2月13日日曜日

革命に寄せる

ポーランドの社会学者、ジークムント・バウマンはその著者『リキッド・モダニティ』の中で、現在の社会を「社会を構成するコミュニティが崩壊し共通認識に基づいたまとまりや秩序が失われ、社会が機能低下を起こしている」として、『液状化社会』と表現した。

少なくとも日本じゃ、どっちに進んでも誰かに責められるような、そう言われてみればその意見も正しいような、そんな気がしてどこにも行けなくなった気がしている。
じっとしてれば成熟したこの社会で既存権益にはあやかれるし、メニューコストを割いてまで進めるような、誰が見ても文句のない道なんて残されてない気もしている。


エジプトの今回の革命では、Twitterやらフェイスブックといったネット上のツールが大活躍したようだ。
彼らは同じ志を持って、時には暴力にも訴えながら「独裁は許さない」という、(誤解を恐れずに言えば)絶対的に正しいかどうかわからない主張を一途に叫び続けて、その熱意が国内外に影響を与えたわけです。
片や日本じゃ強力なリーダーがいないことを嘆いてたり、もっと言うと過去には当時世界一優秀といわれ日本も真似したワイマール憲法をもったドイツから、ヒトラーが生まれたというトラウマも世界は抱えてるわけです。


それでもやっぱり自分の立場を声高に主張し続ける勇気。
ただただ羨ましいなと思います。
あってるか間違ってるかはともかく、どこかの立場に立ち続けることの偉大さ。
そんなことを考えさせられた、歴史的な日だったように思います。

1泊2日で三重を食せ!!最終章

前日は遅くまで酒を飲んでた関係で2日目は昼から始動。
まずは3年前にいただいて以来、全く返せていなかった御守りを返すべく伊勢神宮へ。


伊勢神宮へは3年前に初めて行ったのですが、その時おみくじのないことに気付いて何でやろうと思ってたら、「伊勢神宮にお詣りした日は吉日に決まってるからです」との立て札が。
どうですかこの自信。
あと、知ってる方もおられるでしょうが伊勢神宮には内宮と外宮があって、正しいお詣りは外→内だそうです。
僕は内宮しか行ってません。


さて、神宮に着いたはいいものの、折しものパワースポットブームかなんかで何でもない日やのに人の多いこと多いこと。
駐車場入るのですら相当苦労しました。



中に入ると林のなかなんでだいぶひんやりします。
僕はパワースポット信者ではないですが森林浴はできます。



御守りも返したことなんで横のお陰横丁で昼飯を。
やっぱ伊勢うどんやろうということで。



伊勢うどんは、太くて柔らかいんで、「うどんはコシ!!」派の僕にはちょっと合わないですが、お陰横丁にはうどんの名店が並んでおります。店内には有名人のサインも。
お陰横丁で有名なんは赤福本店ですね。今はもう普通に営業再開してました。



この時点で3時ぐらいでしたが、この旅の2番目の目的は「伊賀流忍者博物館」
神宮から1時間かかるのに最終受付4時半。


まあ最後の客やったんで、堪能する間もなく…
観光地は閉まるの早い…
時間が早ければ、手裏剣とか投げれるみたいです。
次はリベンジしてみたいですね。



総括すると、「美し国」と銘打ってあるぐらいでさすがに空気綺麗です。
で、素朴かつ新鮮。あと、スピリチュアル。
辛いときとかに行くと、良さそうです。
京阪神からやと、3時間ちょっとで行けるし、旅行先としては大満足の2日間でした。

2011年2月9日水曜日

1泊2日で三重を食せ!!パート2

志摩半島は、山地が沈んだような形状をしているので景観も凄くきれいです。
話が前後しますが、オイスターロードの途中見える景色はこんな感じ。


向こうにうっすら見える山は愛知県の知多半島だと思われます。

オイスターロード自体は志摩半島の山の上を通っているため、ずっと海沿いを走ります。


その途中にある、海の博物館
入ってはないですが、いろんな人のブログを見る限りでは評判がいいようです。


で、晩飯を食いに伊勢市まで移動。
その途中にあった、鳥羽展望台に到着。
演歌歌手の鳥羽一郎と山川豊が兄弟で、鳥羽市出身と言うことで、このような記念碑が建てられている。


ちなみにここにある展望台からは、景色のいい日は富士山が見えるそうです。
天気自体は問題なかったんですが、もやがひどかったため見えず…
望遠鏡も役には立ちませんでした。

こっから海に下りたとこに、海女さんの神様を祀った神社があったので立ち寄ると、なぜか林銑十郎のお墓が。


思わぬところに思わぬものがあるのが三重県の魅力なのかもしれない。

1泊2日で三重を食せ!!パート1

三重県ってのは伊勢神宮とか戦国時代村とか、有名スポットは数多くあるのは知ってるけど、どうも教育的やったりスピリチュアルな感じがどうも足を遠ざけてたんですが、やっと牡蠣のうまさがわかる歳になってきたんで行ってきました、食べ放題。

友人の仕事のお客さん情報で、どうやら三重には「オイスターロード」っていう牡蠣の食べ放題の店ばっかりの道があって、だいたい2000円ぐらいで食べさせてくれるらしいよ、ということで今回は「共栄物産」さんにお邪魔。(2500円/人)

1時から予約してたんで、朝の9時に出れば余裕やろうと思ってたら大誤算。
志摩半島の先っちょなんで、着いたのがギリギリ。


消えそうな字で、かき横丁。



あーあった、ここやな。
しかしまさかの・・・



絶望感を抑えて再検索。
「与吉屋」に改装されてました。行かれる際にはご注意を・・・



目、開いてませんが風がきつかったからです・・・
すぐ向こう海です・・・
こんな日に外で食わされた日にゃあ・・・と思っていたら、さすが!!
建物の中でした。

テーブルに通され、最初の牡蠣が振舞われる。



大量の牡蠣(焼いた状態)。
左は牡蠣汁と、牡蠣ご飯の上に牡蠣フライがのってるもの。
1回お替りさせてくれます。ちなみに焼き牡蠣はもちろん、お替り自由です。

中で働くおばちゃんたちは元気そのもの。
30分を過ぎて箸の止まった客を「もうおしまいか?本気出せ!!」とばかりに煽ったり、
客の買ったお土産を梱包し終わるや、「お兄さ~ん、お土産できたよ~」と頭の上で振り回したり、すごくアットホームで好きやったわ~。

来た牡蠣はマイナスドライバーみたいなナイフでこじ開けます。
最初は結構楽しいんですが、




最後は結構疲れてきます。
「1時間?!みじけ~!!」って言ってたのを後悔しました。

最後はこうですね。


ちなみに素手でこじ開けると殻やなんやで結構指切れたりするんで軍手とかあると便利です。
あと、ここだけかはわかりませんがお茶とかは出ないんで用意していくか、最悪自販機やなんやで打ってます。

まあなんせ、一つだけいえるのは「新鮮!!」

ただ、

もうしばらく牡蠣いい!!




だそうですよ。

2011年2月6日日曜日

力士も人間宣言

「八百長」と言う言葉は、相撲が起源だと言われるほど昔から八百長の疑惑が耐えない。
『ヤバい経済学』の著者、スティーヴン・レヴィットはその著書の中でこのように説明した上で、今回の八百長発覚について、当然のことで、別に驚かないとコメントしている。


考えてみれば当然のことなんやけど、八百長は身内の不正やから法的な罰則がないんだそうな。(外部の賭けの対象になっている場合は賭博罪やら詐欺罪にひっかかる)

相撲協会の「公認相撲規則」の中で「故意による無気力相撲罰則規定」てのがあって、協会としては「敢闘意欲に欠ける相撲」と無気力相撲は別としてるけど、放駒理事長が過去に八百長はないって言ってしまった罪滅ぼしにこの二つをイコールとしてしまったがために、余計話がややこしくなった。

つまり、「相撲は興行ですか?スポーツですか?」というもの。

もう言ってしまっていいんではなかろうか。相撲は見世物ですと。
言わずもがな、相撲はスポーツではないし、本気の本気で巨漢の力士同士が年90回もぶつかったら無事ではすまんやろう。あくまでもあれは神様を祭る神事であって、スポーツじゃない。

けど外国からはくいっぱぐれのないプロレスと勘違いしてやってくる力士が番付の上位を占め、神事のなんたるかを理解しないまま力任せに日本人力士をぶん投げて(たまにはぶん投げられて)、その日本人力士を見て「情けない、けど次は」とさせてくれるような楽しみをしているファンもいれば、一昔前のイケメン外国人に夢中になるファンもいれば、もういったい相撲ってものが何の目的で開かれてたか、そんなことはみんな無視して楽しんでるし。


どうせ誰もそんなこと理解しないし、したところで少数派。
外国人力士は年々増えていき、教育が難しくなる。
街に出て喧嘩、暴行、賭博、八百長。

これらを全部覆すのはもう不可能でしょう。
頼みの綱の理事長は「過去になかった」って嘘ついてもたしなー。

2011年2月2日水曜日

説明責任とはなんぞや

人類学者エドワード・ホールによれば、日本の文化というのはハイ・コンテキスト・カルチャーというのだそうだ。
その文化においては多くの文化的コードが暗黙裡に共有されており、まあ簡単に言えばあんまり物言わなくても伝わっちゃうことが多く、そこにはある種の趣きなんてのも加わる。

「和を重んじる日本文化は、個人の能力を競いながら目的を遂行することとは反対で、集団で強調して目的を遂行する。
又、武士道精神や儒教思想に基づきあれこれ言い訳しないことに慣れ、アカウンタビリティ(説明責任)の意識は薄れている」のだそうで、さらに第二次世界大戦のときのややこしい話が加わる。


結果的に真珠湾攻撃が『奇襲』になったのは、当時の在米日本大使館の情報認識の甘さと職務怠慢だったことを戦後すぐの1946年に外務省がまとめていたことが、1994年に発覚しちゃった。
情報認識の甘かった関係者各位は処分されず、アメリカには「sneaky jap」(薄汚いジャップ)と認知され、果ては原爆投下される。
ここでも政府は、説明に必要な三原則、『オープン、フェア、スピーディ』を欠いていたことになる。


要約すれば、武士道精神のハイコンテキストカルチャーが敗戦によって世界基準の説明責任を求められたときに、口下手な外務省によって話がややこしくなった。
現在日本が抱えている問題を政府任せにしていることに国民が危機意識を持ち始め、己の抱えている情報をオープンにしなさいと国民がうるさく言っているような気がするのだ。




ちょっと前から主流の情報開示っていうのと、説明責任は、やっぱり切っても切れないと思うし、最近街の人にインタビューするとみんな口合わせたみたいに『説明責任!!』って言うじゃないですか。すごい違和感感じる。説明責任って何のことで、なんで必要なのか。


武士道時代は許されなかった失敗(当時は切腹)が説明責任を果たすことで許されて、逃げ道として使われてることもある。それにも反対してるでしょ。じゃあいったいなんなんやろう。




情報開示社会では、昔はお上の専売特許やった情報掌握がもちろんないから、『みんなで協力して世の中のこと考えてみようゼ』的な発想になって、その代表にはその方針について当然説明を求める。悪いことしたらもちろん説明求める。それって今まで情報的弱者であった一般国民が、(なぜか)いつの間にか勝ち取っていた権利を維持して行使しうる手段になったんじゃねえかなあと思います。

一緒に生きるんやから、説明する。
なぜか子供のとき、母親に帰宅時間を約束させられたように。
それができなければ、コミュニティを追放する。

『説明責任』は、コミュニティとして生きていく日本人が行っている、信頼関係構築の作業なんでしょうね。
それができない政治家は、鳩山さんとか小沢さんのように、追放されていくわけです。
検察審査会は、おばあちゃんみたいなもんやな。

違うか。

(参考文献:『説明責任とは何か』井之上 喬)
アカウンタビリティ(説明責任)by Wikipedia