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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2010年5月20日木曜日

温故知新

沖縄普天間の基地移設について、徳之島の3町長の対応がやや異なるのは面白い。
全員反対なのはわかるが、「話が平行線だからもう首相とは会わない」というのは大人としてどうだろう。その中で高岡・徳之島町長の対応は群を抜いて「話のわかる大人」感がある。

アジアをはじめとした海外に比べて、日本の歴史教育は考えられないほどレベルが低いそうだ。
そういえば小学校で卑弥呼と豊臣秀吉の名前さえ覚えていればそれなりに満足な点数が取れて、以降では日本史が苦手な生徒はその勉強を避けることのできるカリキュラムが存在する。

つまり、日本史の勉強においては「日本史に興味のない」人間を簡単に、かつ多数作り出すことが可能だ。ちょっと信じがたいことだが、「自分の国について全く知らなくても、選挙権を持つ一大人として社会に出られる」ということを意味する。このことは

1:今回の普天間のような「歴史的問題」に直面した時に人々が「めんどくさいから感情論」に流れる可能性があること(深く勉強した者も民主主義によって淘汰される可能性がある)

2:「お上」の言っていることに対して、冷静かつ建設的な判断ができなくなること

という点で、問題が深いと思っている。

なんで自分の国の歴史の勉強と、世界史の勉強が全く同じ扱いなのか。
敬語すらろくに使えないのにTOEICでいい点取って喜んでる大学生みたいですね。


歴史を知ったからといって基地の移設をじゃあ代わりに大阪が引き受けますかといえばそうでもないだろうから、引き受けに関しては全く別の問題が発生すると思いますが、少なくとももう少し建設的な話し合いができたのではなかろうか、と思うとちょっと残念です。自分達の置かれている立場をよく知ってもらえるまたとない機会であるにも関わらず、その努力を惜しむ町長。単なる島の人気者で終わってしまったらもったいないじゃないですか。


   (読売アンケート)

徳之島に関しては敗戦後53年までアメリカに接収されていたという経緯があり、その点では沖縄と同じ扱いに入ると思いますが、そんな島への基地移設に賛成か反対か、是非歴史を極めた人の目からも議論してもらいたいと思います。

2010年5月10日月曜日

スーパーフレックス

スーパーフレックスであるという働き方は、できるときにできる仕事をできるだけやるというイメージに近いですが、アメリカなどではこれを導入することでより多い余暇の時間を作り出すことに成功しています。

世の中には働くことが好きで仕方ない(そこまでではないけど僕にもその気がある)という人もいるんですが、大方の人にとっては余暇が生活を豊かにすることは間違いないでしょう。
外国人が自由で、なおかつ人生を楽しんでいるように見えないこともないのはこのおかげというのもあるんでしょう。


スーパーフレックスという概念を導入するにあたって障害となることがあって、制度を変える生みの苦しみなんて気の遠くなるような問題はさておき、「飲みニケーションの喪失への恐れ」が漠然とあるんじゃないかと思っている。つまり、年配世代は若い世代の職場での付き合いが薄れていくことを恐れているというもの。


その(一部の若い世代にとっての)悪しき習慣は、上の世代の引退によって解消されるのであれば、まああともって10年かな。なんて希望的観測をたまには無責任につぶやいてみる。

2010年5月8日土曜日

それは責任ある発言だろうか

今世間を賑わせているギリシャでは、圧倒的な税収不足に悩んでいるそうで、その主な理由が医者や弁護士など富裕層の脱税によるものだという。どのぐらいひどいかというと、富裕層の納税額は同国の年金受給者のそれより低いという、ちょっと考えられない事態だそうだ。

たいていの人は、どれだけ税金を納めてもどうせ自分には回ってこないだろうからといって納めないようだ。もうこれは一種のモラルハザードで、ゲーム理論で言うところの国家という公共財へのただ乗りに当たる。

おととい亀井金融担当大臣がギリシャについて、「日本にはアメリカなんかの国債を買うぐらいの体力があるからギリシャの状況とは違う。逆に大騒ぎすると大変なことになる」などという主旨の発言をした。
国債の性格と、膨らみ続ける借金を考えると、とてもギリシャが人事とは思えないのですがどうでしょう。
日本という国は、企業にたとえるととっくに倒産している会社に当たるわけですが、日本の国債はもういつデフォルトの憂き目にあってもおかしくない。
この事態を理解した上での発言なのであれば、どこが違うのかよく説明しないと、国民が知らないと思って適当なことを言ってると後で大変なことになりませんか?

資金よりむしろ

同じ大学の先輩に当たる、ベンチャー企業家の話を聞いた。
彼は今の僕と同じぐらいの年に大学に通いながら起業し、もうかれこれ10年間社長として経営に携わっておられるそうだ。

話の内容としては主に起業の際にどうしてもぶち当たる「資金集め」に関してだが、こちらの方はまあ確認程度の話になった。

それよりもむしろ僕の興味をひいたのは、話の最後にしていた雑談だ。
ニュージーランドに生息する、キーウィという鳥の話。

キーウィは昔は鳥だった。
それが、ニュージーランドという閉塞した空間での生活が長く翼が退化して飛べなくなってしまった。
今の日本人の若者は、この状況に陥ってしまっているという話だった。


人の話に久しぶりに聞き入ってしまった。
おそらく高校時代の古文の授業以来。



ニュージーランドは環境的にはなんら問題がないところだろう。
それは日本で生きている僕も日本に対して同じことを感じている。
みんながみんなリスクをとって挑戦することを避け、安易な道を選ぼうとする。
周りから浮くことを恐れ、翼を失い、飛ぶ能力の代わりに安定と、そこから来る心の平安を求めようとするのだ。

しかし一部には、こうした状況を打破しようとする人たちがいる。
起業して、新しい何かを始めようとしている。
そんな人たちを支援する、ベンチャーキャピタルという業種がある。
ここの業界はなぜか発信が少ない。まあ、頼る人が限られるからあえてする必要を感じないのかもしれないが、そんな道もありますよってことを発信すれば、もうちょっとこの閉塞感が解消されるんじゃないかなあって思う今日この頃です。

2010年5月6日木曜日

答えの出し方の問題

世間ではゴールデンウイークだったようですが、休みは一日しかありませんでした。
GWってGo to Workの略だったかと思うほどに。


連日報道されている普天間基地の移設問題ですが、なんであんなに謝罪が遅い&少ないのか。
いろんなことを考えすぎて、謝り方を忘れてしまったのかと思うほどに。
これは僕だけじゃないと思いますが、政治家に100パーセント正しいことはして貰いたいと思ってはいるけど本当にそうできるとは期待していないし、でもやっぱりできないとか間違ったことをしたり言ったりしたのであれば普通の人と同じ感覚で謝って欲しい。普天間の問題がどれほど複雑な問題なのか、もう大体の人は知ってると思うしだからこそあとは誰かが首相の背中を押すかもう全部自分で決めるしかないこともわかってるんやから。

やれるだけのことはやってそれで文句を言う人がいるなら、その人が代わりにやればいいだけの話で(この問題に関してはできるとは思えませんが)もう100パーセント正しいかどうかなんて誰も考えてないでしょう。


以上のことを踏まえて今回の首相の沖縄訪問のタイミングは「いろいろ悩んだフリ」してみて苦境を(主に沖縄県民に)察して貰い情に訴えてみた、という風に感じている。
残念なのは「間違えない」という感覚が謝罪のタイミングを逃す原因になってしまい、そのために国民感情が逆撫でされてしまったことで解決の糸口がなくなりかけているということだ。平野官房長官の不誠実な言動も火に油を注いだ。「ウルトラC案がある」と期待させといて実際は現行案の修正版だった、なんていうのも正直国民の期待を限りなく0に近いものにした。


なんでこんなにセンスがないんやろなあ、と思ってしまう。「立ち上がれ日本」のネーミングが酷評されたときなんかも似たような感情を持った。


忙しすぎるのも考え物かな、と思う。
政治家先生には遠く及ばないが、忙しくして一般的な感覚を失うのだけは避けたいものだ。
そういえば最近、駄洒落でしか笑えない。