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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2012年10月29日月曜日

介護施設現場実習vol.3

○福祉用具として
①用具のレンタル不可
レンタルできなくとも購入品のニーズはある。
たとえば
・「先が小さくて柄の長いスプーンはないのか?」や
・「鼻の形に穴があいたコップはないのか?」といった問い合わせが相次いだ。
利用者の残存能力を保持したり、施設の手間を軽減するために『自分でできることは自分で』が大原則のように感じた。

②スーパーヘッドの購入
右や後ろに傾いたりする利用者に対して、現在は背中にベニヤ板を敷いて体位変換器を当てているのだが、やはり身体がずれるため、スーパーヘッドの導入はどうか、という話になったが、購入を検討すると2万円強であり、結局断念。ここでも「入所中介護保険不適格」の壁が。

③車椅子前転
弱視の方が下に落としたものを車椅子上から拾おうとして前転しかける(危険を感じて自分で中止)という場面に遭遇。「ヒヤリハット」にもならないので事故報にはあがらないが、「保険」としてのアッシー(仮)の入り込む隙間はあるように感じた。

④エプロン
従来のエプロンは、こぼすとどんどん下にたれてきて結局衣服を汚したり職員がその前に片付けるといった手間が生まれる。
ポケット付きももちろんあるが、ポケットが下に垂れたりして見栄えが悪く、そうでなければ生地がごわごわする。
ゼリー食の方も多い中でこぼした物が下にたれないエプロンが欲しい。安価で。

⑤弱視の方用の時計
障害給付で時刻をしゃべる時計を見たことがあるのを思い出した。

⑥メンタリティの下がっている方へのフォロー
積極的に話しかける、外に連れ出す、好きなものを聞き出し話を広げていく、など時間はかかるが繊細な対応が必要。

⑦カンファ参加
台帳のような資料を準備しており、利用者の生活が事細かに説明されている。
このようなものがあれば、福祉用具としても細かい対応や先を見越した提案が出来るかもしれない。

⑧口腔ケア
スポンジブラシで薬液を塗ったあと、普通の歯ブラシでケア。歯が少ない方、もしくは全くない方もおられるので、歯茎を炒め出血することがある。
口腔ケアに割く時間はせいぜい2分(全介助の場合)→どれほどの効果が?

⑨洗面台が車椅子での口腔ケアや手洗い用の高さに作られておらず、残存能力を生かすことにつながっていない。

⑩うがい用のコップは片手で持っていないといけないので、ほとんどの方は全介助になってしまう。

⑪シーツ交換
ベッドではなく、床にマットレス又は布団を敷いてお休みになる方がおられ、背上げや足上げを行なっているとややこしい。背上げにはその場にあるクッションや布団を用いており、その際のクッション代はご家族に請求して購入する。
『その場にあるもの』なので角度は均一にならない→ラクーイの導入は?

⑫レクリエーション不足
日頃居室と集会所のあいだしか行き来できない利用者にとって、外出の機会はあまりにも少ない。
また集会所(フロア)でのレクリエーションは、レクリエーション資格を持っている職員が諦めるほど時間が取れず2の次になっている。
ボランティア(傾聴含む)がたまにやってきて行う程度。
レクリエーションのバリエーションも少ない。
また利用者によって状態が異なり、共通して楽しめることというと限られてくる。
(風呂での介助を専門に行うパートを雇う施設は多いらしい)
お笑い、落語等聴力を使うものはなかなか難しいところがある。

2012年10月12日金曜日

介護施設現場研修 vol.2

〇福祉用具として

①歩行器
車輪の解除の仕方を知らない。施設内は通路が広くない、また段差が少ないことを考えると、車輪の解除はしたほうが良い。

②入浴用具
風呂上りに車椅子に直接座るため、車椅子が濡れる。
防止するシーツが必要。

③就寝時
空咀嚼がやまない人が側臥位をとると、唇を噛んで出血することがある。
→ケアマネに相談も解決せず。

●組織として
・事故調の機能不全。
 事実を洗い、原因を究明する能力が絶対的に欠如。委員会はあるが時間がとれず、また縦方向へのフィードバックがほぼない。

2012年10月4日木曜日

介護施設現場研修 vol.1

○福祉用具として 

①『施設枠』での福祉用具レンタル販売ができない 施設として福祉用具のレンタル販売ができないため、各個人に見合った最適な福祉用具の提供ができない。 ベッド→画一的 車椅子→使いまわし 介護椅子→なんとなく 

②施設職員の福祉用具についての知識が皆無 フロアリーダーレベルの福祉用具知識が皆無。車椅子の知識が特になく、背張り、高さ調整ができないため、本人に合った用具の提供ができているとはいい難い。 カタログは持っているので、どんな用具があるか、ということについては薄々わかっているが、どのように導入するのか、どんな問題があるのか、ということについてはほとんどわかっていない。 ケアマネがいるが、そのような相談はほとんどなされていない。

 ③予算的な制約 施設にはほとんど予算がない。 新しい福祉用具を導入するためには、意思決定権者の施設長に申告する必要があるが、稟議書等手続きが面倒で、また説得するほどの確たる説得力を持たせることができない。

 ④車椅子 使いまわすので、個人に合わないものを使っている場合がほとんど。 (背張り、座面、高さ等) 一日のうち、ほとんどの時間を車椅子の上で過ごす、という人は特養レベルでもそんなにいない。臥床時間も長い。 ブレーキ、ひじ置き等ガタガタに。ハンドルブレーキは使うことがほぼないが、駐車ブレーキは特にメンテナンスが必要。空気の抜けなども気づかない様子。 今のところ個人に合わせた福祉用具を施設として提供することはできず、工夫することに頼っている。 →見た目が悪くなっている、危なっかしい、手探り →施設向け『できるだけ正しい車椅子の選定方法』セミナー 

⑤施設用介護椅子 高さ調整なし。回転もしない。 回転したほうが楽なのに・・・と感じている職員もいる。そして、たまにすべる。 ひじ置きが硬く、また狭いためにうとうとしたりするのに向かない。 また移乗の際に不便。 椅子の足にはテニスボール!(割ったもの)


●総括 ・そもそも施設用の枠がない ・導入したい気持ちは、ないことはない。しかし、現状(工夫すること)に満足していないこともない。 ・ズレーヌ・アッシーなどは、『工夫していること』自体を評価しており製品化されたものを評価しているわけではない。不kぅ視用具として市場に現れたとき施設関係者の目に留まるかどうかは? ・購買決定権者は施設長。ただ、備品を買うことはあっても福祉用具一般に(ましてやマイナーなニーズののために)目がいくことはない。 →直接的な売り方をしないと・・・ →また、よっぽどのニーズにかられないと・・・ →うまくプレゼンできるか?すべては経営ありき                        以上

2012年9月2日日曜日

なぜ、原発推進派の声が小さいか

原発を続けるか、やめるかという市民レベルの激しい?言い争いを尻目に、着々と元の木阿弥に戻りつつある原発政策ですが、原発を推し進めたい人たちの声がすごく小さく、なぜ推し進めたいか、がわかりにくい。

各企業に節電依頼をかけて電力消費を抑えた結果、中小企業レベルの生産性が落ち込み、零細工場にとっては死活問題になっている。今後原発廃止に向けて進んでいった場合、この事態は解決せねばならない。
震災当時、多くの下請け工場(=市場に出回る商品の根幹)が実は東北地方にあったことを思い知らされた。実体験だが、夏祭りのうちわを作ろうとネットを探したが、骨組みの工場がほとんど東北にあったため部品が供給されず、準備が滞ったりした。

今後この不安定な状態が、原発をとめることによって引き起こされる、かも知れない。

また電力の供給が不安定、または今回のように2割も電力が上がるようなことがあれば、メーカーにとっては間違いなく東南アジアのほうで作る方が有利なのであって、産業の空洞化は避けられず、経済が落ち込んでただでさえデフォルト寸前の国債に影響が・・・などという最悪の事態まで考えといた方がいいのであろうし、「最悪の事態」といったって大地震で原発内のタンクがふっとび何十年か後に健康被害が現れて・・・という確率に比べると余裕で高く、そして影響が計り知れない。


ではなぜ推進派(許容派)はもっと声を大にしないか。


この許容派には企業で働く人、または企業自身が多い。
このデリケートな問題に対して、安易に立場表明できない位置にいるといっていい。
かぶる責任と、その見返りが多すぎる・・・というのが大きいのではなかろうか。

翻って反対派だが、仕事捨てて活動してる人もいるように、責任取るといったってできない人やらそもそも自分の立場を表明することでどんな影響があるのか、冷静に判断できない人が多い、と許容派は感じている。
モンスターペアレンツみたいなもんだと思ってるのではなかろうか。


許容vs反対派の構図は、持てる者と持たざるものの闘いだ。
発言に注意が必要な立場か、そうでないかの違いといってもいい。

さすがに「日本という国がなくなってもいいから原発はなくすべき」という人はいないだろうから、許容派はもう少し我慢して冷静に説明してあげるべきなのではなかろうか。

2012年3月9日金曜日

友人の一周忌に寄せる

昨年3月、友人が自ら命を絶って、すごく塞ぎこんだりしていたのだが、やっぱり一年も経つと悲しみは薄れたり、悲しいとかそうゆうことを超えて何かを考えてみようという意識も生まれる。 二十代の前半っていうのはバイオリズム的に?一番自殺願望が高まる時期なんだそうで、だからといって死んでいい理由にはならないのですが、悲しいのは間違いなくともこの世には人間の営みを超えて、もっとなにか大きな(たとえば環境)のようなものによって支配されてるんだというような、半ば諦めにも似た気持ちが自分を支配しつつあるのがわかる。 人口ってなんで減るんやろう? なんでなん%かの人は、自ら死を選ぶのか? なぜほっといたら戦争が起こるのか? とかそうゆう問題について、果たして真剣に考える意味があるのかないのか、よくわからなくなってるという意味なんですが、もしこれが考えるのに値しなくて誰がどう頑張って考えても解決しない、というか繰り返される問題ならば、やっぱり黙って見過ごすという手もあるのだろうか。 何割かの人たちが頑張って頭ひねってるのを横目に、上の空でたとえば自分の収入なんかを追っかけるのが合理的なんだろうか。 仕事を替えて、どうやら余計に複雑な問題になってしまったようだ。