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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2010年2月26日金曜日

そんなに長生きしたいか?


ジョセフ・E・スティグリッツ『Economics of the Public Sector』における望ましい税制
1:経済効率性
2:簡素
3:環境変化への対応の柔軟性
4:政治的正統性
5:公正
→これ以外にほとんど中立性についての記述が経済学上ではない。



税制を制定する際、必要な前提
①税が課されていない仮想的な世界では公的な介入がないので資源配分は効率的
②そうした世界の効率性を、税がある世界でも実現可能
           ↓
    実際は、両方とも正しくない。

ラムゼイ・ルール
税体系が最適な資源配分に影響を及ぼすことは不可避と認めたうえで、需要や供給の価格弾力性の低い財やサービスに高い課税をするのが良いとする。
つまり、生活必需品に対する税金を上げ、奢侈品の税金を下げると税体系は最適化される。
しかしこれには国民の理解が得られないだろう。

ジョン・A・マーリーズ
課税の累進性は労働意欲を喪失させるという意味でも上げないほうが良い。
これは、公平分配をよしとする日本の実際感覚とは乖離している。
                         (以上 伊藤元重)
                  

以下個人的感想
タバコ税がこれ以上引き上げられるというのは、ラムゼイ・ルールに背き、マーリーズの累進性に関する説にも反する。(日本人の大部分は本当に公平分配を求めているのかという疑問は残る。)
税収、課税対象の公平感etcの点において、スティグリッツの望ましい税制の条件1・4・5を満たさない。

言うまでもなく飲食店を含む公共スペースの禁煙条例は各方面からの税収を損ない、立法府への不信感を伴う。
もし受動喫煙云々で喫煙者に禁煙をお願いしたいのであれば、今まで非喫煙者がタバコ税によって受けてきた恩恵があるのだから、課税によって非喫煙者に喫煙者の通院費を払わせるべきだ。
都合のいい公平分配を生み出した「日本人の実際感覚」でいうところの「筋」だろう。

値下げ競争は時代に逆行

値下げしても需要拡大はできない

売り上げ=数量×単価
値下げ直後:数量(↑)×単価(↓)→微増
3ヵ月後:数量(平常)×単価(↓)→減。

ワタミチェーンの250円均一居酒屋参入でますます拍車のかかる居酒屋界の低価格戦争。


良いものを適正価格


数量(95%)×単価(105%)→作業が減り、経費↓→利益率↑


店舗に行かなくなる理由は価格が高いだとか品揃え、品質が悪い
            +
         店員の感じが悪い
    (挨拶・クレンリネス・品切れゼロ)
なのであるから、基本を徹底した上で価格を下げずに売れる商品を開発する。
(ナショナルブランドではなく、オリジナル)

              (成城石井 大久保社長)

どこぞの経営陣に聞かせてあげたい。

2010年2月17日水曜日

VS. SPEACH ACTER

異文化間のミスコミュニケーションについて、論文を書いた。
しかも全編英語で。
どうも天邪鬼な僕は、世代間のミスコミュニケーションについて書いてみた。
まあ、それが受け入れられるかどうかはわからない。

論文を書くにあたっていろいろ調べ物をしているときに、おもしろい記事が出てきた。

「ニクソンと佐藤栄作との摩擦」。
はしょって書くと、経済摩擦下の会談で関税を下げるための明確な政策を講じるように要請したニクソンに対して、佐藤首相は「Yes,I will take care of that」と回答し、ニクソンが真に受けたのに結局何も具体的な策が出てこないので、日米間の関係がすこぶる悪くなった、というもの。

アメリカ人は基本的に「Speach Act」というスタンスを取っているため、「Yes」は「Yes」、「No」は「No」を表し、日本人の言う行間とか「それは…な、わかるやろ…」というのは通用しません。
こういうニュアンスを重んじる日本人にはアメリカ人の明確な主張が少しきつすぎると感じるのはそのためでしょう。


同じ国に住んでいる人同士でもこの事態は想定できます。
ストイックに生活する人とか、すごい金持ちの息子とか、ちやほや可愛がられて育ってきた女の子とは話が合わないと感じることがあるのは、2者が「異文化」だからです。
一元論では説明できない。養老先生の言うように、多元論を用いてバカの壁をとっぱらう努力をしなければなりません。
しかし、その相手が一元論主義者ならどうするか。
これが今僕が直面している課題です。

2010年2月16日火曜日

世界を驚かせる(笑)

いつの間にあんなに差がついてしまったのだろうか。
サッカー日本代表は韓国代表に1-3と惨敗した。

選手のコメントにもあったように、個々のフィジカルの差は絶望的なものがあった。あっちこっちでボールを失い、カウンターから失点し続けた。得点も終わってみればPKの一点だけで、脳細胞の足りない自称ムードメーカーはあっさり敵の挑発に乗ってピッチからさようならした。

技術とか戦術云々は僕の場合はいいんです。
けど、あの大げさに倒れてファウルをアピールし、そっからまたやり直そうというサッカー後進国のような真似はもういい加減やめていただきたい。見ててかっこ悪いし、スピード感に欠けて楽しくない。

象徴的なのは先日行われた中国戦(やったと思う)で、ペナルティエリアに進入した日本は大久保のPKを狙った不用意な演技で簡単にボールを手放した。
あとでスローで見なくてもわかるほどひどいものでした。
誰がなんと言おうと僕は大久保を認めていません。相手にとってきわめてフェイタルなポジションにいながら100点満点で5点の演技を繰り返し、ボールを失い続ける。2列目から裏へ飛び出し続け、そしてこけ続ける。それがうまくなってきているのであれば、もう少しかわいげもあるようなものを。


相手が若手主体で、アピールを兼ねてアグレッシブに来ていたとかで、思い切りのよさもあったでしょう。
逆になんで日本にはないんかなあ、と思ってしまう。あなたたちはワールドカップ上位常連国ですか、と言いたくなる。昔っから(世界的にみると)たいしたこともない選手が妙にプロぶった偉そうな発言をするたびに笑いがとまらんくなる。なんであの人たちはあんな自信満々なんでしょうかね。


つまり、もっと謙虚にやってもらいたい。ファウルをアピールするのは勝手ですが、そっからドリブルで先へ抜けるつもりは元々ありました?点取る気あるんですか?弱いわかっこ悪いわで、もはやかろうじて残っていた愛国心すら消えうせそうです。

2010年2月14日日曜日

自分の矛盾を肯定するだけが大人じゃない

バンクーバーオリンピックが始まって、ついさっき上村愛子選手が4位入賞という残念なニュースが届いた。
本人は半分納得しているようなコメントを残しているが、4年間この日のためにやってきたのであれば4位が満足ということはないだろう。「プレッシャーから解放された」という風に受け取れた。


ところで、スノーボードのハーフパイプ、国母選手が日本選手団の制服を着崩していいたとか何とかで開会式を欠席させられ、しかし競技には出場できた、という出来事があった。
処分が下った理由はすごくあいまいで、まあ制服だからとか、いわゆる「腰パン」がアフリカからアメリカに移住した人が差別に抗ってのものだとか挙句の果てには制服は税金だとか本当にくだらない議論ばかりが渦巻いていて、事の本質に触れる議論は一切ない。

この国母という事件の張本人はスノーボード自体がちょっと日常生活からはかけ離れたスポーツで、まあ言ってみればスケボーしている人が全く恥ずかしがるそぶりもなしに公道を駆け抜けることができるのと同じで、幼少のころからプロライセンスを取ってその世界にいた人間からしてみれば至極当たり前のことで、「ちょっと人とは違うんだろうな」とは思ってはいただろうけれども「そのちょっと違う感じってかっこいい」と思ってしまったのであって、それはまあ厳密にいえば彼のせいではない。


一番責任が大きいのは「ぴちっとしないといけない時があって、それはこうこうこういうとき」という教育を外した教育者の責任であって、あんまり言いたくはないが「ゆとり教育の弊害」なのかもしれない。
そしてよくわからないのはオリンピックに出場した選手が守るべき「オリンピアズム」という存在だ。

http://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2007.pdf(オリンピック憲章)

こんなものはたして守らせる気なんぞあるのだろうかとも思うのだが、中途半端に「これ読んできて」って渡して守ってないからって処分というのはかわいそうな気がするし、僕は当然守らないといけないことと思っているのでもっと厳しく、そして根本的な精神を叩き込めばいいじゃないかと切に思います。

で、この程度の文章が理解できないというのはゆとり教育でも価値観の違いでもなく、ただ単に基本的学力が足りてないだけです。


確かにスノボーはかっこいいのかもしれんよ。
けどそれとルールを守るのとは関係ない。
ルールを守るというのは最近では「空気を読む」に近くなってきていますが、それがわからないようだと最高にかっこ悪い。
君を取り巻いている世論はそれですよ、国母くん。

2010年2月10日水曜日

懺悔<焦燥

ブログのタイトルを変えてみました。
意味は、中国の古典「史記」の一節をもじったもので
「桃とかすももは何もものをいわんけども綺麗な花をつけるので自然と人が集まってくる」
などというシャレた漢文。
名前負けしてしまわないよう、頑張りたいと思います。

ブログに加えてmixiやらmyspaceにも手を出している僕ですが、
携帯電話にネットは付いていません。

おそらくおよそITと名のつく職業に就く人間の中で、僕だけでしょう。
よってツイッターには手を出しておりません。
意味がないから。

そして最近精力的にmixiを開いてますが、モバイル専用のアプリへの勧誘は気持ちだけ頂くようにしています。

あと、この場をお借りして打ち明けますが
最近流行りのデコメールなるものは全て表示されず
添付ファイルとして送信されてきます。
デコメールをもらえることはすごく嬉しいので黙ってたのですが
残念ながら文面に穴の空いた無機質な感じになっているので
貰った瞬間は軽くへこんでいます。



さて、今日で大方テストが終わります。
そのテストに使う大事なレジュメを貰ってなかったので教授に問い合わせたところ
多忙を理由に却下されました。
焦った僕はまさに昨日友達に連絡をとり、京都まで取りにいくことになりました。
阪急西院駅からタクシーで10分ほどのところにある彼の家でコピーし
あーよかった、これで大丈夫やと安心した僕は
そのコピーしたばっかのレジュメを彼の家に置き去りにし
あげくの果てに人んちから持って来た傘まで電車に置き去りにしてやりました。
もはや僕にできることは、
取り乱さないように目を閉じて心を落ち着かせることしかないです。
色んな人、マジごめん。



何はともあれもうすぐテスト終わるし、
3月からはより精力的に動き回るつもりにしてますので
予定が合えば皆さん遊んで下さい。