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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2010年3月30日火曜日

泡沫インフォメーション

本当に温暖化なん?っていうぐらい今日は寒くて、夕方から夜にかけて雪が舞ってました。
大体の人は、夏場に40度を超えたりすると「何年前まではこんなことなかったのに~」なんぞと大騒ぎするのに、この時期に雪が降っていることについてはあまり言及しない。
せいぜい「異常気象」という言葉で片付けたりするのだが、温室効果ガスの増加で異常気象が起こるなどということは聞いたことがない。

つまり、己の持っている気象についての知識では説明できないことは、たいていの人は見てみぬふりをする。


よく喫茶店なんかでコーヒー飲んでたりすると、自分のボーナスが下がってお金がないとか会社に文句言ったりする人を見かけるけれども、たいていの人は問題の本質について真剣に向き合うことをしない。自分の人生を左右しかねない問題にもかかわらず、学校で教えたりしないという理由で考えることを避ける。腐っても資本主義を掲げる国家でそれはどうなんだろう。



とまあ発言の責任の重さについて述べたところで、なんとも許しがたい問題が起きた。
3年前に発生した中国での毒餃子事件の容疑者が現地の工場の従業員で、どうも真犯人である可能性が高いというものだ。
発生した当時、中国当局は「現地混入の可能性はほぼゼロ(つまり混入させたのは日本人)」と発表した。
そのあらぬ疑いをかけたことについて、謝罪がないのは納得いかない。
言った者がちになってまうやないか。
そしてなぜに日本側からそれを求めたりしないのか。
おそらくほとんどの人は忘れていたのかも知れないですが、僕が暇なだけなんですか?

違うと思う。
たいていの人は情報に敏感でも、興味が薄いのだ。
どっかで他人事のような気がしてるような。
だからどっかでみたようなものが流行ると思う。

2010年3月13日土曜日

第1章 ゲーム理論とは何だろうか

各行動主体の条件 
 ①複数の行動する主体が存在する。
 ②プレイヤーはそれぞれの目標を達成するためいくつかの行動を選択する。
 ③目標の達成は、自分の選択のみならず他人の選択にも依拠する。
 ④一定のルールを守らねばならない。

③の状態を「相互依存関係」といい、「ゲーム的状況」とも呼ぶ。


主体の意思決定
 ①「いかに行動すべきか?」→規範的理論
 ②「実際に人々はどう行動するだろうか?」→記述的理論

②が①に影響および①を正当化する。


人間の前提 
 ①合理的:明確な目標とそれを可能な限り実現しようという意思(目標志向的)
 ②理性的:もし自分が相手の立場だったら…という洞察力と想像力(動物との違い)
 ③公平性および互恵性(相手に親切にされたらお返ししようという性質)の保持
合理性をゼロ座標とした上で実際の行動がどれほどそこから違うのかを研究することを、合理的構成の方法という。(カール・ポパー)


プレイヤーの目的が完全に対立するゲームをゼロ和ゲーム、そうでないのを非ゼロ和ゲームといい、プレイヤーの利得(効用)の和が一定数のゲームを定和ゲームという。
ゲームのルールが全てのプレイヤーの共有知識であるゲームを情報完備ゲーム、そうでないのを情報不完備ゲームという。
これらのゲームの中で「プレイヤーがどう行動するか」=「ゲームの解」となり、これをナッシュ均衡と呼ぶ。



経済学者マーシャル
「政治経済学または経済学は、…(中略)…一方で富の研究であるが、他方の、そしてもっと重要な側面は、人間科学の一分科である。」

LBS

LBS(Location Base Service)の可能性

スマートフォンの普及がライフログ的な投稿を促し、その受け皿としてアメリカで勃興。
地図は、静的な情報から動的なリアルタイム情報へと変化する。
→ツイッターとの融合


固定的なバナーの広告の地位は低下し、メディアバイイングは2年後には下火になる。
さらに、ローカル広告の競争が激しくなる。


                  (宣伝会議)

2010年3月12日金曜日

忍び寄る

アカデミー賞で和歌山県のイルカ漁を扱った「Cove」が選ばれた。
突っ込みどころはいろいろあるが、やはり巷を席巻しつつある「エコ論者」が一定の市民権を得ているという点で見過ごすことはできまい。

今日のニュース番組の特集で、海に生息し海産物にとって害のあるオニヒトデの駆除に、ヒトデだけに人手が足りません、などというものがあった。地球上の生物全ての命を貴ぶということであれば、非常に疑問を感じる特集だ。いったい人間の中には、「どこからどこまでは殺戮してもOK」という明確な基準があるとでも言いたいのであろうか。それであるならば、この世からさっさと消してしまった方が良いのは我々人間自身だ。


シーシェパードにしても2年前のグリーンピースによる機密書強奪事件にしても、全く妥協の余地がない、という時点で相手側にもう話す気がない気がする。エコ論者に対する違和感というのは、結局科学的に不確定なものに対して意見の相違があり、それを受け入れるか受け入れないかの違いなのだから、どこかで起こっているような宗教対立に等しい。そして宗教対立についてそれに一定の距離がある人間がいかに無頓着か、歴史を見ればわかろうものだ。





「まあそれはおいといて、シーシェパードを略してSSという記述がニュースの中でたまに見受けられるが、SSは僕らにとってみればサンデーサイレンスのことだ。勝手な表記はやめて貰いたい。」

というぐらい距離感のあることをエコ論者は唱えているということを自覚すべきで、今の方法では通用しないということをわかっとくべきじゃないかと思うのである。今のままだと、ダダをこねた子供がモノを投げつけだしたぐらいにしか思われない。

彼らの仕事は「言う」ことではなく「伝える」ことなのだから。
もっと理論的になって欲しい。
そして自らの発言の矛盾をさっさと解消しとくべきだ。

2010年3月8日月曜日

ウオッカ引退

今年のドバイワールドカップに出場すべく遠征し、前哨戦で惨敗したウオッカが電撃的に引退を表明した。
どうやらまた鼻から出血していたらしい。前哨戦の直線失速はそのためかもしれない。

同じくG1を7勝している皇帝シンボリルドルフや天馬ディープインパクトのような完全無欠さは全くなかった。府中専用であることに気づくのにも時間がかかった。あれだけの強さを持ちながら、全く融通の利かない馬やったなあ…


個人的なウオッカのベストレースTOP3

第3位 2009年ヴィクトリアマイル
気持ちいいぐらいの圧勝。桜花賞馬レジネッタ、エリザベス女王杯馬カワカミプリンセス、リトルアマポーラ(とスカーレットの妹)をちぎり捨てた。馬券も取った。



第2位 2009年安田記念
牝馬64年ぶりの日本ダービー制覇の後、全く不可解なスランプに陥っていたウオッカが、実に1年ぶりの復活劇。「ダービー馬はやっぱり強い」の名実況に号泣。



第1位 2008年天皇賞
長いブランクから復活した名ライバルダイワスカーレットとの壮絶な叩き合い。
直前にウオッカに凱旋門賞行きの希望を粉砕されたディープスカイと、ウオッカの鞍上を降ろされた四位騎手のコンビの意地の追走にも感動した。




ウオッカが記憶に残るのは、優秀なライバルに恵まれたことが原因だろう。
3年後、スカーレットの仔vsウオッカの仔が競馬界を盛り上げてくれるに違いない。

本当にお疲れ様でした。