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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2008年10月29日水曜日

三浦とるんじゃねえ

http://mainichi.jp/life/money/news/20081030k0000m020113000c.html


日銀が利下げを検討しているという記事ですが、
Y=C+I+G+EX-IM(国民総生産=消費+投資+政府支出+輸出ー輸入)というマクロ経済学の基本公式にのっとって考えれば、利率↓→貯蓄↓→消費↑、投資↑→国民総生産↑ということになります。

でも残念ながら、普通に生活してる人は不況→消費↓という風に半ば狂信的に信じているのでなかなか思うような効果が出ません。どこを歩いてもディスカウントショップが盛況で、100円とあらば多少健康に悪くても目をつぶる。なにかしら有害物質なんて入ってるに決まってるやん。同じものが300円でも、その値段は企業努力の結晶なんやから。100円のもの買って、幼児が飲んでどうこうゆうてる親はどうかと思う。

それはさておき、平成不況を測るのに「消費の冷え込み」ってこないだまで散々ゆうてたにもかかわらずこうなんで、消費をいじるにはもう各国首脳が嘘でもいいからテレビとか街頭演説で「今めっちゃ景気いいですよ」って言うのがいいんですかね。どっかの首相は「円高はいい」ってゆうてくれたそうですが。

まあともかく、教育というものの重要さを実感します。みんなのベクトルが、同じほうを向かないという事実があります。同じマクロ経済のなかで使用する学説が違うどうこう以前の問題です。


拉致問題についても引っかかったことがあります。

アメリカ大統領選で優勢なオバマさんは親日派というよりはむしろ中国とかあっちの半島を重視していく方針を掲げる人で、拉致被害者がこの先今よりいい扱いを受けるとは思えません。それやのにオバマ候補と同名のどっかの過疎地は、自分とこの海岸から日本人がつれてかれてるにもかかわらず、すわ好機とばかりに町おこしのため候補にあやかる始末。思慮の足らない行動に疑問を覚えます。

何ヶ月か前に一回目の北朝鮮のテロ指定国家解除が通達されようとしたとき、すでに日本は愛想つかされてたのに。アメリカがめんどくさいながらもしぶしぶ日北間に提示した妥協案を日本が突っぱねてアメリカの機嫌を損ね、しびれ切らして解除されたら泣きつくという惨めな外交。彼らは日銀の総裁が不在ってことすら先進国のなかでニュースにならなかったことを知ってるんでしょうか。もう今、半分孤立してる状況ですよ。時代は中国です。

青春をかけて勉強してきた人ですらこうなんですから、もはや国民のベクトル云々は夢の話でしょう。



まあ難しい話はどうなってんのか僕自身もよくわからないしいいんですが、「WBCの監督がセリーグ優勝監督とかで原さんになったけど、あんだけ金かけたら当然や」ってしたり顔で話すうちの母親みたいな阪神ファンはホンマに鬱陶しいです。阪神もやってること一緒ですけど。プロってそうゆうもんなんやろうと思うので別にいいんですが、「無知」より「棚上げ」のほうがよっぽど恥ずかしいですね。

(注;一部想像)

2008年10月23日木曜日

Yes,I can

消灯が23時って言われてもニートを除けば不摂生大王の僕が寝れるはずもなく、電気が消えてからはひたすらカーテンの隙間から見える空を眺めながら音楽を聴いてます。

僕は声量が足りなさ過ぎてHIP HOP路線に転向したアムロちゃんの楽曲が意外に好きで、成功したなあと思ってるんですが、昨日歌詞を注意しながら聴いてたらあれっと思ったことがありました。


「'cause I'm queen of HIP HOP! 'cause I'm queen of HIP HOP!!」

違和感感じた人ー。

そうですね。彼女はついこないだまでJ ーPOP界のクイーンでした。
「Can you celebrate?」

こうゆうことが平気で言えてしまう、とゆうか言う必要があるところが、ヒップホップの好きな人の好きな理由で、嫌いな人の嫌いな理由のひとつじゃないでしょうか。

こんなんよくZEEBRAが許してるなあって思ったらしっかりコラボしてますね。かわいければなんでもいいんですかね。彼も。

僕の崇拝しているソウルドアウトのメインMCが、中川しょこたんと交際してるんじゃないかとゆう噂がファンの間であるそうです。だいぶ前に噂されたBOAと並べてみると、クールな彼の趣味がわかってしまうようでとても嫌です。もし本当ならの話ですが。でも、かっこよすぎて許す。


毎朝僕に注射針刺して、「あっ…」って小さく叫ぶ彼女も、髪型がいいから許す。

2008年10月22日水曜日

LOVE Z

入院中です。
たいしたことないので心配せんでください。
かわいい看護士さんもいらっしゃるので、もうちょっとやっていけそうです。

入院自体は小学校2年生以来ですが、相変わらずほんまにすることがありません。
持ってきた本も、すべて読み終わりました。あと僕がすべきことといえば、2月にある漢検(準1級)の勉強ぐらいです。誰か一緒に受けませんか。

あと、TOEIC受けませんか。


なんにせよ退院したらちょっと時間がありますので、飯食いに行きましょう。


あ、関係ないけど100円→10000000円になったこないだの秋華賞ですが、当たったのは「今回は大荒れ」ってゆう予想だけでした。今ここにある優駿の門ってゆう漫画がおもしろいから読んでみっていわれて読んだんですが、ほんまにおもんなかったです。逃げ馬が強すぎるってゆうのとか30馬身出遅れといて最後ごぼう抜きするとか、馬を馬鹿にしくさってるように思えてなりませんでした。あと、さすがの競馬もあんなにドラマは抱えられません。

あと、久しぶりにダイの大冒険を読みました。クロコダインかっこよすぎる…

2008年10月13日月曜日

ブラッディーマンデー

明日、僕の血液型が判明します。大阪で受ける健康診断で、血液検査があるためです。

生まれたとき、血液型がわからない幼児は少ないけどおるようですが、僕の場合たぶんそうではないというか、普通に両親に聞くタイミングを逃したというか、あえて聞く必要がない時期を逃すともうなんか聞けなくなってました。


まあでも知らないのは知らないなりに、いいことがありました。
飲み会とかで、ミステリアスな感じも出せました。
好きな女の子に応じて血液型を変えれました。

今まですいませんでした。


人を見ると血液型がわかってしまうという人がいます。
逆に、性格に血液型は全く関係ないという人もいます。

それぞれにそれぞれの考え方があるようですが、僕には全く関係ないという人は想像力がない、という持論があります。よくそれで揉めるんですが、たとえば全く関係ないという立場を支えている理論が、「血液型で判断というのは日本独自の考え方」というのがあるそうです。

でもこんな理論は「欧米人に肩凝りはいない」というのと一緒です。つまり、概念がない。欧米人だろうが筋肉の張りはあるんでしょうがそれを表す言葉がない。つまり、肩凝りという概念がないのです。

第一、輸血の時はどうするんや。


外国人が日本に旅行に来たとたん、彼らはA型の肩凝りになる。言葉というのはそんなもんでしょう。つまり、欧米にない考え方が間違っているというのはナンセンスな話なんです。


もうひとつ、性格を決定するのは血液型などではなく環境、という考え方があります。
これを否定するつもりはありませんが、環境というのは常に僕らに選択を迫るもので、岐路に立ったときどんな選択をするかというところに、僕は血液型が出ると思っています。



まあだから何ってゆうわけじゃないんですが、血ぃ抜かれるのが怖くて寝れないので最近「取扱説明書」とかで人気の血液型について考えてみました。

統計的に血液型を気にする人っていうのはもてるために気にするような気がしてるんですが、これは勘なのではっきりとはいえません。けど、残念ながら少なくとも僕の周りではO型の評価が高いってゆう事実もあります。

O型でありますように…

ちなみにBかABであった場合、黙って山に籠らせてください。

おやすみなさい。

2008年10月8日水曜日

求夢旅行

競馬を知らない人でも、ディープインパクトという馬については聞いたことがあるかもしれません。
昨日、そのディープインパクトもかつて出走した(禁止薬物発見で失格。)フランスで行われる凱旋門賞という世界最高峰のレースに1頭の日本馬が出走しました。馬の名前はメイショウサムソン。

サムソンは現在G1を4勝し、現役の中でもっとも強いと目されている実力馬で、僕が以前「そろそろ消える馬」にリストアップした馬なんですが、これがなんと16頭立て10着となかなかの「健闘」を見せました。

http://www.youtube.com/watch?v=JvWf9-Nx91U&feature=related

どこが健闘やねんって言われるかもしれませんが、なんせ世界最高のレース。ディープインパクトのほかに、数々の日本馬が世界最高峰に挑戦し、そして返り討ちにされてきました。


第48回1969年10月5日 スピードシンボリ 着外(11着以下)
第51回1972年10月8日 メジロムサシ 18着
第65回1986年10月8日 シリウスシンボリ 14着
第78回1999年10月3日 エルコンドルパサー 2着
第81回2002年10月6日 マンハッタンカフェ 13着
第83回2004年10月3日 タップダンスシチー 17着
第85回2006年10月1日 ディープインパクト 失格(3位入線)
第87回2008年10月5日 メイショウサムソン 10着             (wikipediaより引用)

これらの馬は、当時もちろん日本で最強ぐらいじゃないと向こうで勝手に除外されてしまうので一応精鋭なんですが、ご覧の通り惨敗を繰り返しています。

で、ディープインパクトってゆうのはホンマに競馬ファンにとってはほとんど最後の賭け、というか望みやったわけです。この馬が出てきたとき、日本はその強さに震撼し、いずれは凱旋門だろうがキングジョージだろうが、世界の頂点に立ってくれると疑わなかったわけですが…まあ簡単な話、フランスに遠征して体調を整えている段階で風邪ひいてもうたわけです。それで3着はすごいことなんですが。


で、競馬ファンの中では「いつか凱旋門賞を勝ってくれる日本馬は現れるのか?」という当然かつ永遠の疑問があります。NOというファンも多い中、僕の答えはYESです。

上の引用してきた表の中で、ディープインパクト以外に1頭頑張った馬がいることに気づいたかもしれませんが、この1999年のエルコンドルパサー(日本語訳は「コンドルは飛んでいく」)という馬は、当時まだまだ珍しかった海外遠征を行った(事実エルコンドルの生涯11戦の中の最後の4戦は海外でのもの)馬なんですが、この馬は当時世界最強のモンジューの2着に粘りました。それも、さいごの50mまでは先頭走ってたんです。

要は体調管理と芝質の違いというのが大いに関係あると思うんですね。逆に、「もし凱旋門賞が日本で開催されているレースなら、日本馬の勝率は大きく上がる」という仮説が成り立ちます。
それは「世界最強」を自ら名乗ってはばからない馬がジャパンカップやら他のG1に参戦してきて惨敗、もしくは勝ったとしても僅差であるなど、過去から現在サンプルには事欠かないことからもわかります。

凱旋門を勝った馬の中でも、フランスのアーバンシーはジャパンカップで8着、エルコンドルに勝ったモンジューも同4着、去年の凱旋門賞馬ディラントーマスは体調管理の難しさを危惧して回避、等、勝負の分かれ目が馬の繊細さに起因したところが多分にあるわけです。

もうひとつ、実は凱旋門賞は3歳馬が有利、というのは背負う斤量が違うためで、実際過去10年でも7度、全体で87回中54回3歳馬が制しています。つまり、3歳という早い時期に海外でいつか凱旋門賞をとるためにやっていくと決めた馬が現れれば、可能です。しかし3歳というのは日本でもクラシック世代という一番大事な時期(ダービーとかがある。ダービーを勝つのはすべてのホースマンの夢という)なので、覚悟は尋常じゃないものがありますが。



何にせよ、いろいろ賭して世界最強に挑む姿はいつの時代も感動を誘います。僕は個人的にイチローが好きじゃないにも関わらず、彼の見せてくれるパフォーマンスには感動するのと同じように、今まで何度も馬券上裏切られたサムソンが世界に挑戦するのは応援しました。サムソンの場合は去年、インフルエンザで遠征を断念したという経緯もあるのでなおさらです。



でも、その前にひとつ言いたいことが…

なぜサムソンやったのか…
(同時に登録してた)アドマイヤジュピタの方が…

という念は禁じ得ませんでしたが実績が足りないので仕方ないですね。

サムソンは今年いっぱいで引退するそうなので来年以降はまた違う日本最強馬が挑戦することになります。どんな馬が登録してもぜひ応援したいです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BC

こんな名前の馬が出走してくれたら最高です。

2008年10月4日土曜日

respect the prospect

男という生き物は女性に比べて歴史ものが好きだという話があります。
なんとなくそんな気もします。
たぶん、ヒーロー願望が強いからではないでしょうか。

ただ、歴史上の人物について中途半端な見解しか持ち合わせていないと恥をかくことになりますので「尊敬する人物は誰ですか?」と聞かれてもよー答えません。


僕はとある大手商社の面接でその質問をされてよく考えたなりに「倖田來未」と答えて落とされた人ですが、隣の女の人は「だからあなたも生き抜いて」の著者だと模範解答を答えてました。合否はわかりませんが、あの著者があっち系の人と聞いてもやっぱり尊敬できるんでしょうか。そもそも「尊敬している」ってどっからどこまで、というかどうゆう意味ですか。適当に解釈していいということでしょうか…


たとえば冒険家コロンブスは植民地時代に派遣されたただの虐殺者だったりリンカーンは議会で一言も奴隷解放なんぞ訴えてなかったりといった事実、または坂本竜馬が薩長同盟を結ばせたから江戸時代の日本のよさが失われたという仮説に、尊敬するという精神はどう立ち向かうのでしょうか。

メディアなんかがこれから1年ぐらいのあいだ100%坂本竜馬を批判する論調をとり続けることで彼の「支持率」は大幅に下がるであろうことが容易にわかるように、尊敬の観念は決して絶対的なものではないみたいです。ころころ変わる人もいる。「ああ、なんか本読んだんやろな」ってゆう感じでわかる人もいる。そんな難しい話じゃないんですね。大げさに考えすぎてたみたいです。


日本人は「死者を責めない」という特質を持っていますので、歴史上の人物というのは極めて美化されがちです。死んでしまうと、悪かったとこってゆうのは大概チャラになる。僕が「尊敬」という言葉に抱いてた違和感はこれやったみたいです。

「respect」という単語を安直に和訳すると尊敬するになりますが、respectはもうちょっと2人の視線の高さが近いというか、「認める」という含意がある気がして僕の想像している尊敬とは微妙に違う気もします。


意味のよくわからない単語は使ってて気持ち悪いというのが本音ですが、そんな言葉もろくに使えんようやと堅物扱いされるし、難しいもんですね。