「八百長」と言う言葉は、相撲が起源だと言われるほど昔から八百長の疑惑が耐えない。
『ヤバい経済学』の著者、スティーヴン・レヴィットはその著書の中でこのように説明した上で、今回の八百長発覚について、当然のことで、別に驚かないとコメントしている。
相撲協会の「公認相撲規則」の中で「故意による無気力相撲罰則規定」てのがあって、協会としては「敢闘意欲に欠ける相撲」と無気力相撲は別としてるけど、放駒理事長が過去に八百長はないって言ってしまった罪滅ぼしにこの二つをイコールとしてしまったがために、余計話がややこしくなった。
つまり、「相撲は興行ですか?スポーツですか?」というもの。
もう言ってしまっていいんではなかろうか。相撲は見世物ですと。
言わずもがな、相撲はスポーツではないし、本気の本気で巨漢の力士同士が年90回もぶつかったら無事ではすまんやろう。あくまでもあれは神様を祭る神事であって、スポーツじゃない。
けど外国からはくいっぱぐれのないプロレスと勘違いしてやってくる力士が番付の上位を占め、神事のなんたるかを理解しないまま力任せに日本人力士をぶん投げて(たまにはぶん投げられて)、その日本人力士を見て「情けない、けど次は」とさせてくれるような楽しみをしているファンもいれば、一昔前のイケメン外国人に夢中になるファンもいれば、もういったい相撲ってものが何の目的で開かれてたか、そんなことはみんな無視して楽しんでるし。
どうせ誰もそんなこと理解しないし、したところで少数派。
外国人力士は年々増えていき、教育が難しくなる。
街に出て喧嘩、暴行、賭博、八百長。
これらを全部覆すのはもう不可能でしょう。
頼みの綱の理事長は「過去になかった」って嘘ついてもたしなー。
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