「インターネットの存在が、引きこもりを助長する」という説と、
「インターネットはむしろ、引きこもりがより多くの仲間と(バーチャル上であれ)接する機会を提供している」とう説、どちらを支持するだろうか。
この2説が、対立するものとしてコミュニケーション界では取り沙汰されているらしい。
ひいては、「本当のコミュニケーションは何か」ということにもなるらしい。
前者のほうは、ここ10年ほど耳にタコができるほど聞いていることとは思うが、最近はコミュニケーション論界の権威でさえも後者を支持することがある。
上記の2つの説は、よく見れば分かるとおり全く逆のことを言っているわけではない。
2つを合わせると、引きこもりは雪だるま式に増えていくことになる。
そしてまたこの2論が対立するためには、「引きこもりは悪」というイデオロギーがなくてはならない。
インターネットの普及、特にWeb2.0と呼ばれるプログラムに接するにつけて、我々は顔の見えない付き合いに一抹の違和感を覚えているのを感じる。
Wikipediaでは同じページを編集しあい、
Amazonでは誰か知らない人から物を買い、
時にはブログ上で知らない人からコメントをもらうこともあるだろう。
「よくわからない」という人が多い中、Web2.0は「一人ひとりが情報を提供し、使用できる」という定義ができるらしい。つまり、Web22.0上ではユーザーは「コミュニケーション」をしているのだ。
最初にした引きこもりの話ではないが、電話が初めて出てきたとき「これは本当のコミュニケーションか?」という議論があったかどうかは確認できないのだが、インターネットを通したコミュニケーションが懐疑的な目で見られるたびに電話を引き合いに出し、じゃあこれはどうなんだという話はもうデジタルの世界にどっぷりつかってしまっている人の意見で、電話にまで遡ってしまって存在の正当性を疑われてしまったら、きっとこの人たちも反論できないと思うのである。電話が本当のコミュニケーションかどうかを疑うのなら、このサイトを見ればいいかも知れない。
http://www.tog-japan.co.jp/edu/competency/ct28.html(電話コミュニケーショントレーニング)
というのは僕自身肉声の重要性については十分認識しているからで、単に文字の羅列で説明できない感情なんかもわかってしまうからで、わかってしまったからこそ湧き上がる感情なんかもあるものだ。
時には最初に声を聞いただけで、「生理的に云々」なんていうこともありうる。
そんな時こそ「人間は動物であること」を確認させられるのだ。
「ホモ・サピエンスは言葉を進化させすぎたために滅んだ」なんぞと宇宙人に書かれてしまうことは避けたいものだ。
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