『文化財復元無用論』 山岸常人氏
復元するということは当初の形態のみに価値を認め、その後建物が経てきたさまざまな歴史には評価を与えず、消し去ってしまう行為であるところに問題がある、ということが1つ。
もう1つは遺跡の復元などに典型的に見られる現象だが、上物を復元する際復元根拠が曖昧というか怪しげな部分が多い。想像に頼らざるを得ない場合が必ず出てくる。そういったことが学術的に許されるのか。
復元は歴史資料の消去につながり、ひどい場合は捏造につながる場合もある。
先日長野県を中心に震度5以上の大きな地震があり、松本上の外壁にひびが入ったことが大きく報道された。
他の歴史的文化財同様、保護してしかるべきだと思ってたけどこういう考え方もあるのか。
保存技術のすごさには目を見張るばかりで、ボロボロになってた化石だろうが土器だろうが、ほぼ『完璧に』修復してしまう。復元した対象のニュアンスをつかむ分にはいいのだろうが、それ以外に不必要と思われるものには使わない。そういう姿勢が必要なのかもしれない。
特に、だいぶ古いものに関しては。
国の文化予算は驚くほど少ない。
由緒正しい神社なんかの大工事があろうもんなら、他に回るお金がほとんどなくなってしまう。不必要な修復を避けて、崩れていく遺産の惜しむべきを惜しみ、新しい才能に投資するやりかたこそ、何百年後かの世代のためになるのではなかろうかね。
博物館に行って、展示されてるのが携帯電話とパソコンだけじゃちょっと切なかろう。
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