さて前回の続きになりますが、同系の(同型の)商品が増えてきた場合、「消費者の選ぶ基準」が必要になってきます。
より多い消費者を惹きつけるための方法というのはいっぱいありますが、下品な広告を打つことのほかになされているのが「ブランディング」です。
「ブランド」と聞いて思い浮かべるのは高価なバッグだったり時計だったり、好きなブランドをお持ちの方も多いと思います。旧ブランド社会というのはこうした「第一想起知名率」重視のものでした。そしてそのための広告を数多く打ちました。「名前を覚えて貰うだけで十分」というもの。しかし新しいブランド社会には心理学が必要だと言われています。
○ダイアン・コイル「脱物質化社会」著書の中で彼は「物的財の支配」からの脱却を説いています。
今のように経験・知識が生きる社会の中では、物的側面より心理的な部分に訴求するマーケティングを重視すべきということだそうです。
「ブランドとは、パブロフの犬における餌のようなもの」
○エイブラハム・マズロー
人間の欲求は3段階のピラミッド型に構築されている。
もっとも低次元の欲求は、生理的な欲求、次に安全、帰属、愛情への欲求、最後に自己実現、精神的充足への欲求である。
自己実現は、自己という存在の外にある主義主張への帰属である。
ブランドはより高い次元の欲求を充足させるべきであろうというもの。
例:ハーレー・ダビッドソン
逃避への欲求、本物の希求、反抗、仲間との連帯の象徴
:ボルボ
安全
:コダック
愛情・帰属
:BMW・モンブラン
尊重
まあ調べてみるといっぱいあるのですが、ブランドを第一想起知名率重視で選んできた消費者が果たしてどこまでこのブランド側の意向を汲んで消費しているかははなはだ疑問です。
日本人は世界でブランド消費額圧倒的第一位という名誉とも不名誉とも不名誉ともとれる称号を持っていますが、それと同時に細かい細工に魂を込め続けた伝統的文化も数々ある。
非常に矛盾しているとも取れる民族なのです。
僕はブランドを求める気持ちというのは海外モノへの劣等感(外人のような顔がかっこよく見える精神的状況)だと思っているのでこれはもはや江戸の開国までさかのぼる問題かと思っているのですが、
もう一つ、「ウチのもの」と「ソトのもの」をはっきりと分けているんでしょうね。
消費ブームを引きずっているのかと錯覚させられるような今日ですが、中国人の1人当たりGDPが今後も上昇し、今の日本人のポジションに取って代わることが容易に想像できますので、これを期にもう一度「ウチのもの」に目を向けてみてはどうでしょうか。
内需の少ない空虚な経済がどうなるか、ドバイがしっかり説明してますしね。
(参考文献:『なぜみんなスターバックスに行きたがるのか?』 by スコット・ベドベリ)
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