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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2010年11月6日土曜日

共有ソフトの可能性を模索せよ

AKB48の新曲がミリオンセラーを達成しようとしていると同時に、CDの特典である握手券なるものや本人写真のみ抜いて、CDの方はネットオークションで大量に売りさばかれていることに一定の憂いの目が注がれているようだ。
もういい加減、この手の批判は時代遅れ、と言われなければならない気がしている。

むしろ、数千円払ってでもしたい握手の方に敬意を払うべきかとも思う。

中国漁船衝突の映像が流出したことで再び脚光を浴びる形になったファイル共有ソフトだが、こちらももういい加減市民権を得てもいいんじゃないか。


著作権法1条には、こうある。

「著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与」。

ここでいう「公正な利用」が果たしてファイル共有に適用されるか微妙だが、遅かれ早かれそうなること、そして「(お金を払って買われることなくして)共有されてしかるべきと判断された所産」を共有することで、もって目的とされている文化の発展を損なうことにはならず、むしろ今までの音楽業界の生産者余剰を劇的に粉砕し、我々消費者が適正と思える額(限りなく0に近い)でそれ相当の財を獲得できる画期的システムを禁止することの方が、文化的ロスは遥かに大きい。


『芸術立国論』の著者である平田オリザ氏の言葉を借りれば、現在は文化不況である。金が足りないわけではないが、使うべき対象が見つからない。趣味を持たず、適当に付き合いをこなしながら何か楽しいことを探している人間が溢れている。

万物の価値がうつろい、新興があれば没落があるという(歴史的)事実を受け入れていない人こそ、不況脱却の足を引っ張る張本人である。

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