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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2011年1月30日日曜日

気持わるさ

2010年は情報管理の在り方について再考された年でもあった。

1)尖閣諸島問題における動画流出事件
2)ウィキリークスによる国家機密漏洩
3)大桃美代子氏による元夫の不倫暴露

「秘密を守るべきか公開すべきか」という問題についてはもういい加減議論が出尽くしたうえ、結局答えの出ないままコトは終息に向かっている。(ウィキリークスの問題については情報開示とは逆方向の方針を各国とるようだが)
あんだけ考える機会があって、せっかくやのにもったいないなあって思ったりもしたが、「永遠に答えが出ないもの」として片づけられたのであれば、それもそうかと思う。

それについての価値観が人それぞれやからっていうよりは、「秘密を守る人」と「秘密を暴く人」がそれぞれその仕事で飯を食ってるからであって、3番目の不倫問題なんかは不倫やったから扱いが難しいものの、日垣というジャーナリストが己のジャーナリスト精神にのっとって大桃氏にリークしたものであるのかもしれないし、麻木を降ろすことで飯が食える人がいる。

ウィキリークスは正義感を売って生活し、彼の正義感と戦わないと飯が食えなくなる人がいる。
当たり前のようやけど、もうどこを潰しても誰かが生活できなくなるほど、世の中には仕事が溢れてるし、いろんなこと考える人がおるなというのが情報開示に接したときに思った感想です。


世界平和を願ってしてるはずの外交で、その機密文書には相手の国をぼろっカスに書いてあったり、大事なことを隠して政権維持してる政党があったり、知性派気取って他人の夫と不倫したりというのが許せない人と、それをばらされると生活ができない人。この2つが仕事の奪い合いをしているのに等しいと思うのです。


しいて善悪をつけるとすれば、隠している側にウソがあるかどうかだと思います。
隠している側が秘密について突っ込まれた時、「秘密はない」とウソをつけば悪。そうでなければ妥当。その意味じゃ尖閣問題が一番罪が重いと思いますが。

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