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2011年4月1日金曜日

転向~3・天罰

石原慎太郎都知事の『天罰発言』は発言直後、メディアによって放送された。
「資本主義とか個人主義って最近行き過ぎ」というニュアンスを端的に示そうとし過ぎて大失敗した感じだが、一旦この発言を受け入れてから「あれ?今のおかしくね?」と思ったことを覚えている。そして、それぐらいテレビでもさらっと流れた。

こんなんよく被災地が許すなあと思っていたのだが、それもそのはず、そもそもテレビなど見れる環境にないし、よしんば見れたとして怒りを発する術も、またその時間とか余裕も、さらに言えば人の気持ちのわからない人に対してそんなことをわざわざ注意してやる義理もなかったのであろう。次の日になってようやく批判されたことが報道された。


それにしても理不尽にも家族や友人を突然失った人に対して「天罰」とは、全くひどいものだった。
もういい加減批判は出尽くしてるし、彼も選挙前にやってもうた感満載で謝罪し、原発がらみで涙流してみるなどイメージ回復に忙しそうだからこのへんにして、言葉の真意をちょっと考えてみる。


行き過ぎた個人主義にこの場を借りて文句入れた、というところで、被災地じゃ人間は一人で生きていけないだろう、自分の利益ばかり追うのはやめなさい、ということだったと思う。


しかしこの発言は、普通に言えばわりかし真っ当なことに聴こえるのに過激な字面を追われて(いやしい仕事発言の余波とかあったのか)被災地の方では彼に言われなくともごく自然に行われているようで、杞憂の上勝手にイメージを下げただけで終わってしまった。
個人主義どうこうと言う問題は以後問題になるかどうかはわからない。
ただ安全の確保についての個人間の連携は話題に上がるだろう。
そのためにTwitterなどのSNS が果たす役割は大きかったわけだが、デマが多かったとかで非効率が多かったようだ。


「未曾有」って言葉の意味を考えれば多少の混乱はもちろんあるだろうが、専門家同士「意見の擦り合わせ」があんまりない印象だった。みんながみんな己のフィールドで投げて打ってするから、球拾いの僕らが大変だった。原発の情報も毎日修正されて、どこまで信用していいかわからない。
デマが流れたことについては、東電の責任は見た目以上に大きいと思っている。

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