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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2008年7月29日火曜日

サンダガのせいで虫の息

前線の活動が活発化し、このあたり一帯は激しい雷雨に見舞われました。

音が聞こえる範囲内で、ひくぐらい落雷があり、この家は4回停電したり直ったりを繰り返しました。
外出たら死ぬんちゃうんかってゆう天気なんて滅多にないですよねぇ。

で、停電のおかげでパソコンで作りかけてたものとか何回もぶっ飛びました。
人間の無力を思い知らされます。


ネット社会の膨大なデータを保管しているデータセンターを、ヤフーとかグーグルがアイスランドに設置することにしているそうです。これはデータセンターのサーバーがデータを背負って発熱するので、冷却しないといけないからだそうですが、日本ではなぜか都心の真ん中、特に本社の近くに置きたがる傾向にあるようです。特に理由はありません。もしあるとすれば、コントロール錯覚(「他人を見下す若者たち」より)です。

コントロール錯覚とは、人間が自分のコントロールできる範囲の事象については質量ともに過大評価する傾向にあると同時に、できないことに対して見て見ぬふりをすることだそうですが、たとえば麻雀における「場の空気支配」もそうだといえます。

ものすごく科学的に考えれば、上がれる回数は1/4なんですが、なぜ「流れ」というものがあたかも存在するかのような言われ方をするのか。そしてまたそれを掴んだと思しき人が勝つのか、ひょっとして「気分」のことですかとかなんとか考えてたら、すごい博打うちに出会ったことを思い出しました。


半年ほど前、とあるコンビニで働いていた僕は、店内でドラゴンボールのくじ引きが始まったことにうんざりしていました。そこに小学校高学年ぐらいの姉妹が母親とやってきて、やりたいと言い出しました。

システムについて簡単に説明すれば、まず店内においてある「やりたいという意思表示を示す紙」をレジに持ってきて、またそこで箱の中からくじをひき、1~6等までの景品と引き換えになるんですが、妹のほうがまず「示す紙」を一枚無造作に持ってきて、6等をひいて帰りました。はよせぇと思ってまだ「示す紙」のとこにいる姉のほうを見ると、なぜか母親と喧嘩してました。

母「その紙を頑張って選んだって一緒やろ」

姉「いや、こっからが大事なんや」

僕はレジでこれが小学生の発言かと感動していましたが、姉はめでたく5パーセントぐらいの確率で1等を持って帰りました。

彼女は平成の坊や哲だったんでしょうね。神のツモでした。


確かに「科学では説明できないこと」がこの世に存在するという考え方は魅力的ですが、とても堅実とはいえません。現に節々でその思想に染まった僕も苦労してます。

けど、この世で幸福定量説が成り立つとして、幸福の波を感じれるような感覚はいるなぁ。
競馬もそうですよね。堅いレースには堅く、荒れるレースには思い切って張る。麻雀やったら勝負手のときに思い切る。そしたら負けるはずがない。

わかってます。わかってるんですよ

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