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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2009年8月26日水曜日

来て貰わなくて結構です

冗談としか思えない記事があったので紹介しておきましょう。


  よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」

 『人生の旅をゆく』(よしもとばなな著・幻冬舎文庫)より。

【この間東京で居酒屋に行ったとき、もちろんビールやおつまみをたくさん注文したあとで、友だちがヨーロッパみやげのデザートワインを開けよう、と言い出した。その子は一時帰国していたが、もう当分の間外国に住むことが決定していて、その日は彼女の送別会もかねていたのだった。 それで、お店の人にこっそりとグラスをわけてくれる? と相談したら、気のいいバイトの女の子がビールグラスを余分に出してくれた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。 それであまりおおっぴらに飲んではいけないから、こそこそと開けて小さく乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。 ちなみにお客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであった。 

 するとまず、厨房でバイトの女の子が激しく叱られているのが聞こえてきた。 さらに、突然店長というどう考えても年下の若者が出てきて、私たちに説教しはじめた。こういうことをしてもらったら困る、ここはお店である、などなど。 私たちはいちおう事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。 店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。 しかし、店長は言った。ばかみたいにまじめな顔でだ。「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」 いったい何のきりなのかよくわからないが、店の人がそこまで大ごとと感じるならまあしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。 

 もしも店長がもうちょっと頭がよかったら私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。 そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。 

 居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況はけっこう深刻である。 その深刻さが回避されるかもしれない、ほんの一瞬のチャンスをみごとに彼は失ったのである。そして多分あの店はもうないだろう、と思う。店長がすげかえられるか、別の居酒屋になっているだろう。 これが、ようするに、都会のチェーン店で起こっていることの縮図である。 それでいちいち開店資金だのマーケティングだのでお金をかけているのだから、もうけが出るはずがない。人材こそが宝であり、客も人間。そのことがわかっていないで無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ。それで、口をそろえて言うのは「不況だから」「遅くまで飲む人が減ったから」「もっと自然食をうちだしたおつまみにしてみたら」「コンセプトを変えてみたら」「場所はいいのにお客さんがつかない」などなどである。

(中略)

 というわけで、いつのまに東京の居酒屋は役所になってしまったのだろう? と思いつつ、二度とは行かないということで、私たちには痛くもかゆくもなく丸く収まった問題だったのだが、いっしょにいた三十四歳の男の子が「まあ、当然といえば当然か」とつぶやいたのが気になった。そうか、この世代はもうそういうことに慣れているんだなあ、と思ったのだ。いいときの日本を知らないんだなあ。】(以上転載)



~~~


このエッセイの含蓄は何点かあるだろう。
1:「居酒屋で持込を行うことは正統性はないにしろ『日本のいいとき』であれば許容されるべきことであること」
2:「『明らかに年下の店長』よりもばなな氏は有名かつ特別な人間である(と自分でも認識している)こと」
3:「持込を行った自分には許容されるべき特別な理由があり、それが理解できないというのは世代間の格差があるということ」


その後の対談等でおそらくこの居酒屋は大手チェーン店であったことがうかがえる。大手チェーンではばなな氏も対談で認めているとおりマニュアルを強く意識する。また上層部から売り上げについて強くプレッシャーを受ける。ばなな氏曰く「頭のあまりよくない」店長は、「ばなな氏を追い返すことで失う新規顧客層数<顧客による持込を黙認することで現顧客に与える悪影響」を冷静に判断した結果の判断であったと思われる。お互いに真っ当な正当性をもってぶつかっているので、はっきり言って両者に妥協の余地はない。


ただこの偏屈ばあさんの言うように、「いいときの日本を知らない世代」である我々は、その世代間の思想のギャップをもって「持ち込み不可」といっているわけではない。僕が思うに、両者を分けているのは「大手チェーン居酒屋がいわゆる『いいときの居酒屋』とは似て非なるものであること」を認識しているかどうかの違いだと思う。要はビジネスモデルが違うのだ(まあいいときの居酒屋というのはひょっとしてビジネスモデルのことは意識していないのかもしれない)。

ちなみに新しいビジネスモデルは、顧客に認められなければ存在していけないのはあっちこっちで言っているとおりで、多少融通が利かなくてもサービスが悪くても、それなりの値段で酒を飲む場所を何時間か提供さえしてくれればそれでかまわないという人がいるから成り立っているので、それが嫌なら自宅で好きなだけ飲めばいいだけの話になる。もしくは、そう悲観するほどでもない数の「サービスのいい店」があるのだから、それを敏感に感じて行けばいいのに、それができないというのは「今の」言葉で言えば単に「KY」なのだろう。どうせこの手のタイプはIKEAに行って「自宅まで配送しろ」と言うことになるんだろう。


ちなみに最後のほうで『それでいちいち開店資金だのマーケティングだのでお金をかけているのだから、もうけが出るはずがない。人材こそが宝であり、客も人間。そのことがわかっていないで無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ』とおっしゃいますが、モンテローザはダントツの業界1位、ワタミチェーンは2位である。いずれも別に最低限のサービス以外は特に何かをしているわけではない。

居酒屋に関してはよくわかっていないことが多い。
先付けは必要なのかそうではないのか、ことわりもなしにお金を取ると訴えられるのか、4人席に3人座っていると相席は不可能なのだから席料は4人分取るべきではないか、など、感覚的な部分で適当なところもある。こんな時代ですからいずれ整備されるかも知れないが、感覚的に「今回の持ち込みはOK」と判断したばなな氏自身が、なんとなく余分なお金を払うことで決着させようとしたことも自己矛盾甚だしい。結局そのへんのことは整理がついていないから、考えるのがめんどくさいから、お金で済ませてしまおうというのだろうか。

そして氏が認識しておくべきなのは、「今の世代」が赤字で強調したような文調を特に嫌うということだ。ちょっと頭のいい人ならば、「たかが売れっ子作家」が自意識過剰に跳ね上がっているだけなのがわかって不愉快になるからだ。

さらには、若い世代が「いいときの居酒屋」を全く理解していないわけではないということだ。
サービスメインに推し出す店もあれば、「ツケ」すら当たり前のようにまかり通る店もある。
さっきから言っているとおり、「ビジネスモデルが違う」のだ。もうそんなに関係ないのかもしれないが、「若い世代」で勝手に片付けてしまうから、誤解が増える。世代間の溝を深いものにしているのはむしろ、全部知ったふりのこの世代であろう。このような物言いをされると、話す気すら失せてしまうのは仕方ない。


ちなみに上記のエッセイについては、賛否同じくらいあるのだそうだ。

3 件のコメント:

fujiken さんのコメント...

トップ画にちょっと感動した。

cani さんのコメント...

吉本ばなな風に批判してみると

「こういう人間は得てして、自分のやりたいことを無理にでもやるためには金で解決すればよいと思っているのである。バブル期を経験し、自分は成功している、などと勘違いしている人間の典型である。」

なんてw

昔はよかった、というノスタルジアとしか読めない文章を売っている出版社も出版社ですが、最後の一文に書かれていたように、賛否が半々なんですね。意外です。

年齢別に見ると面白い結果が出そうですね。

こういうひとが医療崩壊の一因になっているような気がしました。

nauhia さんのコメント...

<fujiken
やろ。当の本人は触れてなかったけどな(笑)右のちっちゃいYouTubeとあわせてお楽しみください。


<cani
もう正直俺には「私は特別な人間やのに特別扱いしてくれなかった(もしくは恥をかかされた)ことにムカついてる一種のクレームとしか思えません…

むしろ、今の人のほうがこういう傾向があるような雰囲気やのに、時代なんて変わってないのかもしれませんね。