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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2011年3月30日水曜日

転向~1・経済学的立場って…

犠牲者は1万人を超え、まだ2万人弱の行方がわかっておりません。
数え切れないほどの家が流され、道路は破壊され、町は町としての機能を失い、沿岸部の漁業は津波で壊滅的被害、田畑も海水にやられるなどして被害は甚大、これらを含めた経済的な損失は当初12.8兆円と目算されており、その復興には16~25兆円ほどがかかると、(そして消費税を上げる必要があるのではないかと)噂されております。


ついこの間中国に抜かれたGDPを考えてみても、この13兆円ぐらいは丸々マイナスとなり、さらにしばらくの間経済活動のできない現地被災者のぶんは来期、マイナスになります。
生まれたばかりの我が子を流され、婚約したばかりのフィアンセを失っても、経済学的には「ゼロ」もしくは最悪の場合「マイナス」とされてしまうのです。

そしてさらに震災後の自粛ムードによって日本中の生産活動が落ち、給料が下がり、消費が落ちて震災不況に陥ることを懸念して震災翌日から声高に「自粛を自粛!」「俺らは義援金送ったし」などというまあ何となくそれっぽい意見が経済学的見地から繰り出されていたのは確かですが、自分の中で「わかるけど今?」というどんな学問にも基づかない怒りのような感情が湧いてきたのですが、この正体はやっぱり「人の心に寄り添う心」=「同情心」だったと思います。


全てのフィールド上で経済学と人の心が敵対するわけではありません。
しかし経済学という学問には、人の心は組み込まれてはおりません
(最近になって出てきた行動経済学なり神経経済学などには、「人がこうしたらこうする」のような心理学的要素が入ってきたのは確かですが、基本的には経済学においてもっとも重視される「己の利益の追求」のためのもの)

人の心とぶつかるポイントは、この「己の利益の追求」のために人は動く、そしてそれこそが経済学上で唯一認められる「合理的人間」になるということではないでしょうか。


しかし我々は、四六時中自分の利益のみを追求して生きるわけではありません。
後に述べようと思いますが、外国人が感嘆したと言う「火事場泥棒が少ない」とか、「地下鉄のホームに整然と並ぶ」などといった姿勢は、まさにこの己の利益の追求と相反するところになるでしょう。
自民族だからいうわけではありませんが、この点においては本当に誇り高い民族だと思います。



さて、数々のポイントでこの2つはぶつかってくるのは認めるとして、どうしたらいいのかというのは結構永遠の課題のようにも思えてくるので、書きながらゆっくり考えたいと思います。

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