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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2009年1月15日木曜日

万を持すと長くなる

第二次補正予算案が衆議院を通過し、いよいよ定額給付金が支給される公算が大きくなってきました。

給付金が経済的にどういった意味をなすのか、本当のところよくわかりません。
ただ、今はデフレ傾向にあるので貨幣の流通量を増やしてインフレ化を導き相殺する、という意味もなくはありません。


よく言われていますが、このお金はおそらく春に行われる選挙のためのばらまきであってどうせ2兆円ぶちこむなら他の手段を探したほうが景気のためにはいい、という議論があります。
(たとえば雇用対策に使って失業率を減らす、など。)

しかし具体的にどんな政策が給付金を上回る効果を導き出せるか、ちゃんとした答えを導けないのが経済学の頼りないところです。

テレビやらニュースを見てても、「よくわからんが、給付金よりいい政策がもっとありそうだ」というものすごく漠然とした話しかでてこないので、国民的にも何となくもやもやした感じを拭い去れません。

そもそも「選挙のために家計にばら撒く2兆円」自体は、即悪というわけではないというジレンマがあります。これを責めたところでだからどうしたと言われて終わりです。問題は、ばら撒いて国民の機嫌をとらないといけなくなったまでの途中の段階で何をしてきたかということを、外から眺めるしかない我々がどれだけ評価できるかです。


給付金に対する僕の立場は、「別に構わない、しかしこれで年金やら将来の増税やらなんやら、帳消しにして選挙に臨めると思ったら大間違い」というもので、一人でも多い方が賛同していただけることを祈っています。例によって選挙には行きませんが。



雇用問題に関して、日本の企業がどう取り組むかというのは今後間違いなく一番大きい問題でしょう。
というか、それが一番早いと思います。

日本企業は内部留保(営利から出資者への配当を除いた剰余、会社が好きに使っていい資産)が多いといわれており、これがこないだまであったといわれる好景気を僕らが実感できない理由なんですが、本来これは社員への給料やなんやらに還元していいはずの金なんで、これを首切られた派遣労働者に回す、具体的には正社員へ登用するなどの努力に使われてもいいものです。

ぽつぽつそういう会社も出てきてはいるようですが、全体のことを考えるとまず足りません。


ここでひとつ問題だと思うのは、派遣労働者が不景気下でどんどん首を切られていくことに対して、「非人道的」という言葉がよく使われますが、逆に言うとそうとしか言い返せないという切ない事情があると思います。

というのは、不景気で派遣労働者が首を切られたところで、「派遣とはそもそもそういうもの」といわれればおしまいだからです。これは本当にもっともな話で、鼠算式に増えていくフリーターを、少しでも社会的な生産方式に組み入れようとして目をつけた制度であるからで、別に生涯に渡って生活を保障してくれるものではないからです。

正社員なら失業保険か何かで会社がそれなりに守ってもくれるでしょうが、派遣労働者は別に派遣先の企業の社員でもなければ派遣した会社の社員でもない。どっちに見捨てられようが、文句がいえないという非常にグレーゾーンの商売です。これに対して泣き言をいう人に対しては、「何を今更」という非常に現実的な目が向けられることになります。

目下の派遣に関する問題は、「期限途中の解雇」で、「契約書を交わしてないのは有効かどうか」ということになりそうです



内部留保が多い、という(今のところまだ神話)話は、日本がまだある意味救われていることを意味します。本当に金がないわけではない。平成の長い不況へのトラウマから社員に営利を還元しないでいたらまたすぐ不景気になって、ラッキー金が余ってる、って感じ(繰り返すが神話)。

100年に一度といわれてるし、ここらで一肌脱げばいいと思うのですが、昔から日本にはそんな体質はないので期待薄です。会社は社長のものという根強い考え方があり、かつて村上ファンドの村上さんが特異に見えたのはこのせいです。

株もそうですが、企業戦略の成功はいまやどこもかしこもが考えに考え抜いた戦略を打つがために相手の失敗をつくことでしか大きな成果を挙げられません。派遣労働者救済にかかるコストを「失敗」とみなすか、それとも企業イメージとして長い目で見たときに「失敗」とみなすことを失敗と捉えるか、「誰か先やれよ」状態に陥ってるような気もします。

もし内部留保を社会のために使うことを拒み、己の利益を追求し続けた結果不景気が長引くとすれば、これから先「会社は誰のものか」という議論が再燃するでしょう。


数年前CSR(企業の社会的責任)という言葉がちょっと流行しました。
内部留保を何に役立てるかということとも似てきますが、環境への貢献が流行りだしたのはこの頃です。企業イメージを上げるための企業広告という視点からいうと、いろんな企業がありすぎて、ランク付けするために持ち出した概念でもあります。環境問題が顕在化してきたというのも事実。

環境問題に対しては「譲り合い」の結果おそるおそる手を出してきたことを考えれば、おそらく人を大事にするという点でも手を付け出すんじゃないかと思います。

けど迅速にそれを進めるためには、マスコミの働きが不可欠。
今全然声が小さいような気がしますが、なんででしょう?気のせいでしょうか?


どっかの放送局で、お金で星が買えればいいのにねって言っちゃって相撲協会から叩かれた人がいましたが、あれぐらいずばっと言えないもんですかね?

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