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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2008年11月13日木曜日

震源地 神戸

毎回思うんですけど、公人が失言を冒す度に「こういうニュアンスで言った」とか「本意はこうだった」という言い方を決まってしますが、ではなぜその本意の通り喋らなかったのでしょうか。


今回の「関東大震災はチャンス」という失言のあと、「チャンスはきっかけの意」という弁明に終始していますが、あの言い方では伝わるはずもなく、講演の映像を見た僕はぞっとしたほどです。「関東大震災はチャンス」といったあの瞬間、「チャンス」という言葉は間違いなく「好機」の意味で使われていました。


ほとんど人権侵害の「産む機械」発言の時と異なり、今度こそ「庶民感覚とのずれ」が問題視されるような気がします。僕が思うに今回の庶民感覚とは、「関西の発展<天災による(人の死を含めた)破壊被害」ということになります。井戸知事の発言は、話の流れ上非常に軽いものであったうえ阪神大震災のまさに震源地で行ってしまったがために話が大きくなったこともあるでしょうが、何よりふざけていると思うのが井戸敏三vs石原慎太郎という構図です。

昨年4月に三選を決めた石原東京都知事が阪神大震災時の兵庫県の救助活動の不備を指摘し、「トップの判断が迅速であれば死者は2000人減ってた」という趣旨の発言をし、これに対して井戸がブチ切れたという経緯があり、「仕返しじゃね?」ってゆう憶測を呼んでます。僕の印象では「普段人に受け入れられない偏屈じじいがちょっと講演でウケたがためについうっかり調子に乗って口が滑った」結果であり「ある意味本音」という感じです。


まあそれが問題なのでありこの人の場合(影が薄いため特に取り上げてこられなかったが)過去にも「飲酒運転したから免職ってゆうのは厳しい」旨の発言などで「んん?」ってゆう感覚になることもあったので「おめーがずれてんだよ」と言いたくもなりますが、失言の質上今回こそ辞職に追い込まれてもおかしくないと思ってるんですがどうでしょう。首都直下型地震が起きると犠牲者は数十万~数百万人とももしくはそれ以上とも言われますが、その人命と引き換えにウケを狙いにいけるほどアグレッシブな公人は、おそらく一般市民には受け入れられません。言った後「なぜ苦情が来てるのか理解できない(本人談)」のも耄碌したからでしょう。


今回の件で日本人ってゆうのはホンマに地震を恐れてるんやなあってゆう実感が湧きました。普段口にはしないけど、心のどっかで地震のことをイメージしてる。何か発言があるたびに、被害者感情が甦る。東海地震とか、関東大震災とか、おそらくそう遠くはない将来起こって、数百万人の犠牲者が出ることを…恐れずに言えば、心のどこかで覚悟している。それが自分や、家族など自分の大切な人ではないことを祈りはするけれども、その可能性は低くはないとは思っている。何十年に一回起こるであろう大地震で人が亡くなることは、もう確定事実のようにも見え、そしてそうであればあるほど、やはり「関東大震災はチャンス」という発言が、より怒りを呼ぶものとなるのです。そしてそれは、関西の人間が自分たちの身に起こったことではなく、少し離れた、関東の人間の(死を連想させる)悲劇を扱った趣旨であったことにも因るでしょう。いわば他人事のように聴こえ、そのうえ残念なことに、大地震を体験しているわれわれにとってそれが他人事ではないからです。僕がずれてると思うのはそこです。



一部の人間が、私怨に基づき一時的とはいえこのような思慮を欠いた発言をしているとすれば、腹が立ちますね。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

失言も大概アホ丸出しですが、その後の「なんで謝んなきゃいけないの?」的な態度はどうしようもないというか、救いがたいと思いましたわ。

基本的に失言のほとんどは想像力の欠如によるものやと考えますが、今回の例は典型的なんちゃうかな〜

匿名 さんのコメント...

引き下がれないってゆう背景もあったのかと思いますが、どうしても簡単に言えば「性格の悪さ」が滲み出てる発言になってしまいました。

地震ってゆうのは理不尽なもんであってそれで人が死ぬのもまた理不尽やしそのへんのことを突っつくのは危険極まりないことを教えてくれましたね。とても勉強になりました。