I’M HERE

自分の写真
トータルライフコンサルタント 相続診断士

2008年12月8日月曜日

去勢しろ

怒涛の本日3件目です。しばらく忙しかったのでまとめてやってしまいます。


また変態による幼女殺害事件が起こりました。
容疑者が軽度の精神障害を負っていることを知りながら僕があえて変態呼ばわりするのは、少なくない障害者が望むとおり本人を一般人と同じ扱いにしているからであり、少なくない障害者が被害妄想の限りに叫ぶとおり障害に対して侮蔑的な態度をとっているからではありません。

普段障害者の保護者なんかは「この子も皆さんと同じ普通の子なんです」といいながらこういう事件を起こしたら「この子は特別なハンデを背負っていまして…」と言い訳する。人を殺しといてそれはねえだろう。高校卒業後布団会社で普通に働き、一人暮らしをしながら仕事が嫌でやめ、それで責任能力がないからって言うならはじめっから一人暮らしなんかさせるなよ。と言いたいです。

だいたいテレビの取材で嘘ついてんねんから、悪いことっていう自覚があったんやろう。


差別、という言葉は人と違う障害に向けられることにのみ用いられるべきで、ひとつまかり間違えば普通に人を殺しうるっていうとこが問題なんです。B2クラスの障害を持つ人がみんな幼女趣味なんかといえば違うやろうし。


障害を持ってる人が普通の人と同じように生活してるんなら、普通の人はまたそれと同じように生活してる。それを妨害する行為は憲法レベルで認められているにもかかわらず、精神的に人と違うものを持っているからといって「あの人は何やらかすかわからんから」っていう緊張を含んだ姿勢で接しろというのか。それが本当に望みなんですか。それが差別ではないとでもいいたいのか。都合が良すぎるわ。


ある障害をさして軽蔑的な態度をとる人なんてもう成人になればほとんどいないと思いますが、「自分と違う、何をするかわからない」っていう警戒が「人と違う扱い」になるんだと思います。「この人に殺されても文句が言えない」っていう警戒も加わります。そんな相手とどう接するか。僕が思うに学校レベルの道徳教育では答えになっていません。

裁判員制度が始まりますが、こういう質の問題に裁判員がどういった裁きを導くのか非常に興味があるところです。現在死刑賛成論者は反対する人より多いという調査もありますが、それが何人か集まって議論すれば死刑という結論には至らない、というのが僕の直感的な持論です。なのでこの手の問題に関しても、何か今迄から変化のある答えが導かれるという期待はあまりありません。どれだけ怒りを感じても、道徳的な問題をはらむ限り論理的に量刑を導くということが不可能だからです。ましてや普段個人の仕事を休みながらの裁量。裁判に集中しろなんて虫が良すぎる気もしますが…



あと、近隣住民にとって、いい人かどうかを決める基準がなぜ毎回「自分に挨拶をしてくれたかどうか」なのか。
思うにそれしか接点がないからであって、それはつまり近隣住民自身が「ほとんど知りません」ということを露呈しているのではないか。僕は「挨拶のできるいい人だったのでとてもそんなことをするような人には…」という発言は、時間の無駄なんで流す必要はないと思っています。まあ今回は、挨拶のできない人だったようですが。

2 件のコメント:

kaji さんのコメント...

こういうニュースって、報道することによって何を伝えようとしてんのやろな。
ただ見てていらいらするだけやと思うんやけど。

子供殺すとかもっての他やけど、個人的にはオレオレ詐欺も重罪にしてほしい

匿名 さんのコメント...

もうホンマ調子に乗るなといいたい。障害者と同じように健常者も我慢してるということに気づくべきやわ。ゆうてはいけないと思われることを我慢し、与える刑罰を我慢し、それでいて被害をこうむらないように極力努力し、「手を貸すべき」ってゆう適当に植えつけられた道徳観のまま接する。誰に言われんかったってみんな気つかっとんねん。せめてかけなくていい迷惑はかけるなといいたい。

あと、吉川由梨ちゃんの親を騙した犯人は厳罰でいいやろ。詐欺とかゆう範疇を超えてる。