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自分の写真
トータルライフコンサルタント 相続診断士

2008年12月18日木曜日

写真 de 人格論

疲れてボーっとしてるときに昔の写真をもう一回見ることがあるんですが、同じような写真なのにどうして微妙に感じ方が違うのかということが気になって仕方なくなりました。


これはもうちゃんと構図の勉強をするしかないんでしょうが、真剣に考えてみました。


ここに写真が5枚ありまして、去年の秋ごろ城崎の北側の海岸で撮影したものです。



真ん中に被写体。で、上から空、海、砂浜です。今から載せる写真の中で、もっともその割合が1:1:1に近いものです。全体的に暗いせいか、あんまり楽しさは連想させません。なんとなく気になるのが右上の光。これを勝手にテーマとしましょう。「救い」です。






次はこれ。被写体の歩き方に躍動感を感じるとともに、テトラポットに跳ねた波とか動きが目につきます。「開放感」です。






同じような写真ですが被写体の大きさが違います。こうなると後ろの景色にあんまり目が行きません。


が、空がやや大きめに割合をとっているので明るさは目に付きます。秋の日本海には見えず、全体的に穏やかな感じがします。「休日」です。






後ろから撮るとこうなります。向かっている先が見えるので、目的を写すことになります。先にはもちろん海ですが、背中を大きく見せながらなんかちょっとした段差を上がっているところとか含めて大きなことをやってくれそうです。「決意」です。







上と似てますが、全体的に暗い。海も荒れてます。被写体の足取りも重い。


上のと比べ、やややる気が感じられません。目線の先には目的があるはずですが、あまりいいことではなさそうです。「憂鬱」です。








ごらんの通り、構図、視点、光の入れ方、選択する動き、等々によって大きくテーマが変わる





このときの僕は、別に落ち込んではいないし、何かを特に決意したわけでもなければ抜け出したい環境があったわけでもない。とすると、「いい写真」を「状況を正確に捉えている写真」とこの場では定義すれば、3枚目か4枚目が適当ということになりそうです。少なくとも僕にとっては。








でも写真を見るのは第三者も含まれるので、広く受け入れられる写真となるとまたむずかしそうです。



「気になる写真」でその人の心模様がわかるか?



勝手な希望ですが、わかって欲しいです。なんかそんな心理テストが、ありそうですけどね。







でもそう考えると、「よく状況を捉えているもの」という点において写真というのは、絵画に比べてはるかに難しいのではないでしょうか?絵というのは、まあ作者の判断で色を誇張したり、それを含めてやり直しがきく。写真もたしかにパソコンに落とせば編集がききますが、フィルムの一眼レフなんかで撮るとなるとそれこそいろんなことを考えながら撮ってるんですかね?






祖父がなくなったとき、遺品である一眼レフをもらいました。「祇園」という立派な名前をつけました。



が、よー使いません。使い方に関しては説明書読めばすむだけの話なんですが…まあやから、構図とかね。



でもこういうのって、勉強するより独学のが面白いと思うんです。たぶん自分の場合、そのおおざっぱな撮りかたを知ってしまうと、がっちがちに型にはまって、自分の考えてることが写真に出なくなる、と生意気に考えているので手を出すのがちょっと怖いわけです。方法だけは知っといてもいいと思うんですが。


こっからは本当になんとなくの話ですが、被写体の大きさとか構図、明るさ、動き等の違う写真のうちどれを好きになるかで、性格が出るんじゃないかと思っています。僕がこの5枚の写真を見比べて、(半ば強引に)テーマの違いを感じたように。で、好きな順番も言えたように。








ひょっとしてその日の気分によって、惹かれる写真が違うかもしれない。たぶん、そうだと思います。でも「いつ見てもすーっと入っていける写真」というのは、たぶんその人自身です。かっこいい言い方をすれば。この仮定が本当なら、なんか素敵な話やと思いませんか。










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