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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2009年5月3日日曜日

まーた始まった

クローン研究で有名なザボス医師が再び「おれ、クローン人間作るから」と言い出したことで、クローン人間に関する問題意識が喚起されようとしています。

クローンについては、何年か前にドリーという羊を作ってみたが死んでしまったり、受胎そのものがうまくいかないなど、なんとなく不気味かつ神秘的な感じがするのですが、それとは別に

“日本におけるクローン技術規制法のように、世界各国でヒトクローンを禁止する枠組みができつつある。理由としては、先ほど出たような寿命が短いというような問題の他に、外見の全く一緒の人達が何人もいると社会制度上大変なことになる、優秀な人間のクローンをたくさん作り優秀な人間だけの軍隊を作る、独裁者がクローンで影武者を立てる・クローン人間の殺し合いなどを娯楽に供する(手塚治虫「火の鳥・生命編」)といった人道上許されないことが起こるから、ということが挙げられるが、上記のように根本的に不可能なものがある。また、「優秀な人間だけの軍隊・野球チーム・サッカーチーム」などという存在は、生まれてきたクローン人間に強制的に軍人やスポーツ選手の道を歩ませない限り不可能であるため、「クローン人間に普通の人間並みの人権を認めない」ということになり人権上問題があるばかりか、ある意味奴隷制度にもつながりかねないものである
このような禁止措置はES細胞、iPS細胞などの生命科学の発展の障害となる可能性があり、考え方の対立が問題となっている。”(wikipediaより抜粋)


というような問題があり、過去の歴史を見ても「人間の科学的欲求は、理性では抑えきれないだろう」という諦めがより問題を難しくしているのです。



このことについて、人間の理性をほぼ0に換算して最悪のシナリオを遊び半分で想像してみました。

僕が個人的に最もあればいいと思うのはドラゴンボールでいうところの「瞬間移動」の能力です。アニメの中で彼らはまさに亜空間の中を一瞬で移動しているように見受けられますが、「空間を支配」というのはやや現実的ではないのでここでクローン人間を用いてみます。

まず、現在地で自分の姿(すでにクローン)を何かで照射し、その映像の情報を移動したい場所で展開します。もといた場所のクローンは照射光か何かによって焼却され、この世には一人の人間しか存在していません。

「そんな非人道的なことが起こりうるはずがない」とこの話をした友人は僕のこの冗談を片づけてくれましたが、果たしてそうでしょうか。クローン問題における人間の倫理は、今のところ人類最後ともいえる理性だと思うんですが、どうも「興味半分で研究したらできた」、「じゃあ人間に応用してみよう」、「大丈夫、実際にクローン人間なんか作ったりせんから」、「でもな、子供亡くした親御さんの気持ちもわかるし」とどうもなし崩し的に進んできてしまってる印象があります。


これがいったいどのタイミングで歯止めがかかるのか?予想がつかないというよりかは、道徳がじりじりと土俵際へ押しやられて、そのうち寄り切られるような、そんな悲観的な展望を抱かずにはいられないのです。


しかしあれですね。「単細胞生物の細胞分裂は当然クローン」というのは考えたら確かになるほどそうですが、ちょっと衝撃ですね。できる、できないの違いって一体何なんでしょうね。あと、弟っていうのはニアリーイコールではないのか?

2 件のコメント:

cani さんのコメント...

瞬間移動の想像ゲームですが、よく「どこでもドアとエリクソンの”アイデンティティ”」の問題でよく哲学の本とかで例示されることが多いので、その辺の文献にあたってみるといいかもしれません。

nauhia さんのコメント...

なるほど。ありがとうございます!見てみますよ!