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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2009年5月8日金曜日

「甘えの構造」 第4章 前半

とらわれ
森田正馬が精神患者に働く作用につけた名前。ある感覚に注意を集中すればその感覚に鋭敏になり、注意をさらに固着させ、感覚と注意があいまってさらにその感覚を強大にする。この悪循環が起こるもともとの原因はヒポコンドリー性気分があるためである。このヒポコンドリー性気分について森田は疾病ないし死への恐怖と片づけたが、筆者が思うに甘えたくとも甘えられない環境で育ってきたことによる潜在的な不安というものである。最近になって「とらわれ」を研究する欧米の学者も出てきているが、「甘え」に掘り下げる者は現れていない。

対人恐怖
一般人に理解されにくい精神学用語において「対人恐怖」がほぼ唯一の例外となっているのは、その言葉が日本人の患者によって作られたからであり、日本人の歴史的社会的環境と深くかかわっている。乳幼児のする人見知りとは異なり、成人期に過度に行う人見知りは時期遅れの発達であり、これがさらに病的になると対人恐怖症となる。人見知りは母親への甘えと同時に起こり、成人期になっても同じ理由が考えられる。それとは別に、テニエスによれば今の社会がゲマインシャフトからゲゼルシャフトhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3(wikipedeia)へ移行しているため甘えるルールが見つけられないという理由がある。近代社会においては西洋化の影響を受け恥の感覚が受け入れられにくくなっており、いたずらに内向化する人間が増えている。

気が済まない
気がすまないと感じる人はある程度自分の精神の動きを統一的に自覚しており、甘えの充満する日本の社会の中で最も自律的なタイプであるが、絶えず気が済まなくて悩むと病的である。

同性愛的感情
ここでいう同性愛とは友情の基調になりうる感情的結びつきが異性愛に優先する場合のことである。例えば米国では、結婚前はもちろん結婚後も異性間の付き合いがあることはあるが、建前としていつも夫婦ないし恋人間の交際が優先し、そうでもないとすぐに同性愛を疑われることを恐れるが、日本にそういう風習はない。しかし何故潜在的によくないことと認識されるかといえばこの感情が本来甘えに起因するもので、子が親に、生徒が先生にするように至極当然のことであるにもかかわらずとても不安定なものであるからである。

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