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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2009年5月12日火曜日

「甘えの構造」要約 終章

「甘え」と現代社会
青年の反抗
現代の青年の戦う姿勢は、現代を支配する世代に向けられている。彼らは既成の社会に激しく反抗し、古い世代に強い不信の念を向けるが、家族レベルに目を向けると、必ずしも世代間の争いは起こっていない点にかんがみて、これはフロイトの言うエディプス複合と同じといえる。彼らが真に必要としているのは自らの限界を知るための力試しであり、その機会を今では政治家も宗教家も与えられないので、当分それに明け暮れることになるだろう。

現代人の疎外感
文明のはらむ矛盾と苦悩に若者は抵抗しながらも巻き込まれざるを得ない。その失ったものに、原爆以前に論じられるようになった公害よりもずっと前から気づいていた。現代人の魂の遍歴は、科学文明が人間の力を誇示した後生命的枯渇感を覚え、一度裸になって感性的に生きようと、つまり母性的なものへの憧れを示したゲーテのファウストに表れている。

父なき社会
古い世代と新しい世代の間では、価値観を巡る対立が起きるのであるが、古い世代の信じる価値観があいまいであるため、その争いの争点は明らかではない。つまり、新しい世代は自分たちがこれから信じて立つ価値観が古い世代によって与えられていないことに苛立っており、これは一種の甘えである。明治の西洋文化の輸入とともに旧来の父親権威も薄れ、それが敗戦によって決定的になった。しかし父性は人間性に根付いたものであるので、なくなりはしない。弱い父親への憤りは、強い父親を希望しているのと同義でもある。

連帯感・罪悪感・被害者意識
日本の中では、一方でうきうきしながら他方で漠然とした罪悪感に悩む人がおり、ニューレフトと呼ばれる人たちにはその傾向が特に顕著である。彼らは世界で起こる悲惨な出来事に対し傍観者でいることは犯罪と考えているが、すべての人を救えないのである種の罪悪感に悩む。連帯が強調されすぎるため個が失われる恐れがあるのだが個は連帯によって初めて価値を得るので連帯を求めえざるを得ない。この矛盾と加害者性に目覚め自らの特権的存在を解体することになるのは至極当然のことであった。日本人の連帯感はここに端的に表れている。

子供の世紀
大人のような子供や子供のような大人の増加は、世代間の境界の消滅を表している。現在は子供の世紀であり、フロイトのいう多形倒錯http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%BD%A2%E5%80%92%E9%8C%AF(wikipediaより)が起きている。これを最も尖鋭的に表しているのがヒッピーであり、その精神的態度が社会全般に及んで表れている。これは一種の退行現象ではあるが、次の未来の創造に向かう途中なのかもしれない。

                        

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