この間NHKで結婚しない人はなぜしないという話を、一般人を招いて議論してました。
僕自身まだ結婚しているわけではありませんし、まああまりピンときていないというのが正直なところですが、結婚していない人がなぜしないのか、その理由を聞いているとどうも理由が後付けくさいものも多く、何となく釈然としない。
ひどいのになると、「結婚って男にとっては契約ですから」という理由になる。
確かにそういう側面があるのは否定しません。配偶者のために割く財産や時間も多くなる。でもそれだけでは結婚しない理由になっていないというか、それでもみんなしていく中でどうしてその人たちはしないのか。この間Caniが教えてくれたエリクソンの数ある理論のうち、「発達理論」というものを発見しちょっとおもしろいなと思いました。
発達理論では、人間が成長していく過程を8つに分け、そのそれぞれで人間はいろんな葛藤と闘っていく。
乳児期:基本的信頼vs不信
早期児童期:自律性vs恥・疑惑
遊戯期:積極性vs罪悪感
学齢期:生産性vs劣等感
青年期:アイデンティティvsアイデンティティ拡散
初期成人期:生殖性vs停滞
成熟期:統合性vs絶望
(統合性とは自己嫌悪に陥ることなく自己の人生を自己の責任と受け入れられるか否か)
ということらしいんですね。
聞くとああなるほどと理解できますが上記の「結婚しない人」は「価値の多様化」を理由に初期成人期の「生殖性」を取るに足らないものと考えだした、と言えるのかも知れませんというかそう聞こえました。
が、僕が思うにその前の「青年期」以前の問題じゃないか。遊戯期に積極性を抑圧され、ある人は学齢期に劣等感を感じ、アイデンティティの拡散をためらってきた。言ってしまえばニートの精神構造と似通っている(と思われている)。社会的な問題が、深いところでつながっている。どうしてもそう思えてしまうのですが…
つまり僕の中では
「別に結婚しない人がいてもいいと思います」=「働くだけがすべてじゃないと思います」
ということになります。これがいいことか悪いことかは全然また別の話、というか時代が判断するのでしょうが、結婚に関して言えば見過ごせない事実があります。
数年前の数字ですが、「なぜ今の人と結婚したのか」という問いに対して男女とも25-30%の人が「この人と一緒にいたかったから」と答え、理由としてはトップになりました。
しかしこれは「理由がない」というように聞こえます。高校生の時分からそう思う人は思う。情の厚い人なら毎回そう思っている。けどそうとしか答えようがない…という無言の声が聞こえてくるようです。大学を卒業し、入社して、彼女できて、さあ次は結婚かな…という風潮が無きにしも非ず。「結婚適齢期」なんていうあいまいな言葉があるのもこのためだと考えます。
しかしこれには重要な意味合いが含まれています。「家系の存続」というものでした。いまでは長男がどうこう、ということは聞く限り少なくもなってきているようですが親のために孫の顔を見せる。これは大きな意味を持っている。家族であることを再認識する。今これが特に重要視されなくなったのは、モンスターペアレントのところでも言ったように「地縁の崩壊」がある気がしますがどうなんでしょう。
やっぱり全部繋がってる気がするんやけど、考えすぎかなあ。
あと、これもテレビで(名前を忘れてしまった…)著名な映画監督が、「今の人はコンプレックスという言葉を使わない、個性という」という言葉を聞いて感銘を受けました。いいか悪いか。難しいことですよこれは。
ああ書いた。今日は書いたなあ。
2 件のコメント:
異性に限らず、好き嫌いはその理由を掘り下げていけば全部「なんとなく」に行き着くと思います。
理屈はすべて屁理屈だ!
そういやフロイトの精神分析でも何々期って分けられてた気がするなぁ。「男根期」とか
そしてその「なんとなく」を裏で操ってるのがマスコミなんだと思います。「30前後には結婚しとくべき」みたいなんがずいぶん昔に取りざたされたんだと思いますね。
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