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トータルライフコンサルタント 相続診断士

2008年6月5日木曜日

凡人と海

仕事と勉強の合間を縫って神戸に行きました。
僕は淡路島の生まれやから(かどうかは知りませんが)煮詰まったときにはよく海に行きます。
高校の時分なんかは煮詰まりすぎてほとんど海にいました。

神戸の三宮にはセンター街とゆう商店街があり、5年も前はほんまに地味な商店街やったんですが最近は(主に女性用の)お洒落な店も増え、心なしか反日感情の強い東南アジアの国々の方を見かける機会が増えました。

僕はついこの間まで大阪に住んでいた関係で大阪の人の服装と神戸の人の服装の違いを実感として感じることができるんですが、神戸男性の服装はどうも個人的にしっくりきません。その違いは何か今日ちょっと分かった気がしました。

簡単に言えば見てくれは神戸の方がさわやかでいいし、ディテールのこだわりなんかは大阪的なものの方が優れている気がします。これ以上いうと悪口になるので書きませんが。


アパレル関係も含め、僕はアーティストという人種をほとんど盲目的に崇拝しています。作品に込めた情熱と意味を垣間見た瞬間は何とも言いがたい感動を覚えます。少なくとも彼らは胸のうちに秘めた激情を形に出来るということです。
だから逆に作り手の意図を全く無視した言動には怒りを覚えるし、言葉の意味を履き違えて使う人には違和感を覚えるし、特に信念のない人は尊敬できません。

作品に関して言えば、ここ10年ぐらいのCMは酷いものがあります。「商品に差はないのだ。だから広告で差をつけよう」(引用:梶祐輔氏著『広告の迷走』)とゆう姿勢がはっきりしているためです。それが証拠に、アパレル関係で有名人に着せて宣伝CMを打っているのは大衆向けに大量生産されている某2社製品だけです。UNI〇LOの方は機能性に優れたものがあり打ち出す理由がはっきりしているのでわかるのですが、もう一個の方は何がしたいのか全く分かりません。

「コマーシャル」という言葉には昔から「プロモーション」という意味が込められていたそうです。商品の概要と、使用方法を説明するという意味ですが、最近は「アドバタイズメント」の色が濃く、長澤まさみさんに商品名を連呼させるか新垣結衣さんに連呼させるか、もこみちかそれとも奇をてらった別のキャラクターにインパクトを与えてもらうか、まあゆうても何が言いたいかわからないものが多く、そのひねくり回し方がかえってお寒い感じになっててテレビで流れるだけで不愉快です。

CMでは説明してくれないので、何が本当に自分にあってるのか選択するには「経験則」が必要になるめんどくさい時代になりました。「ブランド」が重要な説得力をもち、「口コミ」がさらにイメージを膨らませて最後に老舗がそれを裏切る。もうホンマ何がなんだかわかりません。

でも、海は変わりません。

終わり

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