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2010年4月30日金曜日

沢尻問題を考えてみる

いったい何があったのか。高城剛氏と沢尻エリカの離婚について、唐突な印象を受けた人が多いようだ。
沢尻エリカといえば将来を嘱望された若手女優で、弱冠24歳。「1リットルの涙」までの彼女を評価する声も少なくない。
そしてなぜそこまでかといえば、そっからの豹変ぶりが異常だったからだ。

彼女の豹変に際して高城氏が噛んでいるのは薄々分かっていた。僕が彼を見たとき思ったのは、「なんて運のいい人だろうか」ということだ。見た目は相当胡散臭い。「ハイパーメディアクリエイター」という肩書も胡散臭い。彼自身の市民権を得るために「沢尻エリカ」というセンセーショナルな広告媒体は、大きな役目を果たした。現に彼のブログのアクセス数はその後飛躍的に上昇した。広告としては価値のある結果だ。
そして彼にとって最もラッキーだったのは、ある程度沢尻の生き方に広告媒体としての方向性を与えるその行為自体を、社会に対してあれだけの影響力をもちながら沢尻自身が「尊敬できる」と誤解しうるガキんちょであったことだ。もしくは根っからの女優であったことが原因かもしれないが、それでは結婚生活なんて始まった時点で破綻してるし、話が終わってしまうので無視する。


かくして「有限会社高城」に就職した沢尻は、会社の広告塔として立派な役目を果たしてきた。
転機が訪れたのは「別に…」騒動。私生活に不満があったからという憶測も飛び交っていたと記憶しているが、あれは想像するに高城氏の計算だ。「女王様キャラ」として打ち出したが、過去とのギャップが激しく市場によって却下された。熱狂したのは一部の盲目的なファンだけ。その後の扱いの悪さを見れば、高城氏の戦略は明らかに失敗している。
焦った沢尻(裏に高城)は、涙ながらの弁解を行う。一度や二度の失敗についてはファンは寛大なので、そこでやめとけばよかったんだろうけども立て直せると踏んだ高城社長は次々と間違った方向性の広告を行っていく。「6カ条の要望書」がそのいい例だ。

間違った経営を続けた社長に対して、徐々に沢尻の不信感が強まっていく。
何度も話し合いはしたそうだが、その辺の話だろうと思う。で、そのたびに丸め込まれていったわけだ。なんせ高城氏のほうが一枚も二枚も上だから。そして、高城氏が自分のほうが上であることを認識していることが、この問題をややこしくしている。沢尻が家から逃げ出して、連絡先を変え、陰で「キモい」と暴言を吐かざるを得ない理由がこれだ。「目と目を合わせて話を」という発言は、もっともらしいようで自分の土俵に上げようとしているだけだ。都合がよすぎることにもはや沢尻は気付いてる。


こう考えると、初めは「この上ない痴話喧嘩」に思えたこの騒動が、「就職の難しさ」と「若者の幼稚性」という2つの問題をはらんでいるように見えてくる。
なんやほかの人の意見を聞いてるとやれ別に…に関してはちゃんと謝罪文も書いて反省してるだの女優復帰した時の会見が誠実でよかっただのマスコミ向けの誓約書は最近暴走気味のマスコミを黙らせるために必要だのいかにも思考停止の暇つぶし論議が繰り広げられてますが、そんな話無意味やと思うわ。繰り返しますが、「彼女は将来を嘱望された女優」なんです。

もちろん夫婦の間の事情なのでちゃんと会って話す必要はあるし、どんな理由があれそれから逃げて勝手なことを言うのは子どもの証だし、少なくとも仕事がなくて生活のために金を入れてもらってるその人に対して「キモい」などというのは道徳的にありえない。自分自身のことがよくわかっていないかよっぽど常識がないか、なんでこんな奴をマスコミが持ち上げたがるのか理解できないぐらいのちょっと綺麗なクソガキやん。「筋道を理解できない子ども」で検索すれば、自分の周りで結構ヒットするでしょうが。


「どっちもどっち」と言ってしまえばそれまでなんでしょうがせっかく報道の在り方について考える機会があるのだからちゃんと考えてみてほしい。だいたい「6カ条要求」出されたときにもう沢尻ネタはでっかく取り上げないっていう暗黙の協定があったんじゃないんですか?それが離婚するとなったとたん、各社この有り様。こんな醜い人たちに、道理がとか筋道がとか報道する資格なんぞないのかもしれませんが。

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